バハードゥル・シャー2世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 09:40 UTC 版)
バハードゥル・シャー2世(ウルドゥー語: بہادر شاہ ظفر, Bahadur Shah II, 1775年10月24日 - 1862年11月7日)は、北インド、ムガル帝国の第17代(最後の)君主(在位:1837年 - 1858年)。第16代君主アクバル2世の長男(夭折した兄がいるので正確には次男)。母はラール・バーイー。
- ^ a b c d e f g h i j k l Delhi 20
- ^ a b c d ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.267
- ^ a b ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、pp.267-268
- ^ a b c d e f ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.268
- ^ メトカーフ『ケンブリッジ版世界各国史 インドの歴史』、p.142
- ^ メトカーフ『ケンブリッジ版世界各国史 インドの歴史』、p.141
- ^ メトカーフ『ケンブリッジ版世界各国史 インドの歴史』、p.147
- ^ a b 辛島『新版 世界各国史7 南アジア史』、p.330
- ^ a b c d e f メトカーフ『ケンブリッジ版世界各国史 インドの歴史』、p.148
- ^ 辛島『新版 世界各国史7 南アジア史』、pp.322-323
- ^ 辛島『新版 世界各国史7 南アジア史』、p.323
- ^ a b c 辛島『新版 世界各国史7 南アジア史』、p.324
- ^ a b c メトカーフ『ケンブリッジ版世界各国史 インドの歴史』、p.151
- ^ a b c d e f ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.269
- ^ 辛島『新版 世界各国史7 南アジア史』、p.326
- ^ a b 辛島『新版 世界各国史7 南アジア史』、p.335
- ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.269より引用
- ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.267より一部引用
- 1 バハードゥル・シャー2世とは
- 2 バハードゥル・シャー2世の概要
- 3 家族
- 4 ギャラリー
- 5 参考文献
バハードゥル・シャー2世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 06:36 UTC 版)
「インド皇帝」の記事における「バハードゥル・シャー2世」の解説
16世紀以降、ムガル王朝がインド亜大陸の大部分を治めた際も、地理的な呼称を使用せず、単純にパーディシャー(西側諸国では「皇帝」に近い意味合いで解釈されている)という称号を使用した。1857年に起きたインド大反乱の際、セポイはデリーを占領し、バハードゥル・シャー2世をインド皇帝として擁立した。反乱が鎮圧された後に、バハードゥル・シャー2世は捕らえられ、1858年にビルマ(現ミャンマー)のラングーンに追放され、ムガル帝国は滅亡した。
※この「バハードゥル・シャー2世」の解説は、「インド皇帝」の解説の一部です。
「バハードゥル・シャー2世」を含む「インド皇帝」の記事については、「インド皇帝」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- バハードゥル・シャー2世のページへのリンク