バハーワルプルとは? わかりやすく解説

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バハーワルプル【Bahawalpur】

読み方:ばはーわるぷる

パキスタン東部、バンジャブ州の都市サトレジ川沿いに位置する古くから交易要地であり、英国統治時代より独立後の1954年まで、同名藩王国の都が置かれた。市街南西郊に藩王豪奢な宮殿が残る。小麦、米などの集散地陶磁器生産が盛ん。バハーワルプール


バハーワルプル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/20 00:38 UTC 版)

バハーワルプル
بہاولپور
Bahawalpur

ダルバール・マハル英語版
位置

パンジャーブ州内のバハーワルプル県の位置
位置
バハーワルプル
バハーワルプル (パキスタン)
バハーワルプル
バハーワルプル (パンジャーブ州)
バハーワルプル
バハーワルプル (西南アジア)
座標 : 北緯29度23分44秒 東経71度41分1秒 / 北緯29.39556度 東経71.68361度 / 29.39556; 71.68361
歴史
建設 1748年
行政
パキスタン
  パンジャーブ州
 県 バハーワルプル県
 市 バハーワルプル
Nazim Tariq Basheer Cheema
地理
面積  
  市域 246 km2
標高 461 m
人口
人口 (2012年現在)
  市域 1,215,018人
その他
等時帯 パキスタン標準時 (UTC+5)
郵便番号 63100

バハーワルプルウルドゥー語: بہاولپور‎)は、パキスタンパンジャーブ州の都市である。バハーワルプル県の県都である。2012年の人口は約122万人。

歴史

1690年以降、バハーワルプルはナワーブに統治され、18世紀後半にはアフガニスタンドゥッラーニー朝の支配下にあったが、19世紀初頭に同王朝が混乱すると、1802年にバハーワル・ハーン2世はこの地に独立した支配を打ちたてた。

1833年2月22日、バハーワル・ハーン3世はイギリスと軍事保護条約を結び、イギリス配下の藩王国となった。バハーワルプル藩王国はムスリムの藩王国としては、ハイダラーバードニザーム藩王国に次ぐ面積を誇る大藩王国であった。

1947年8月インド・パキスタン分離独立時、バハーワルプル藩王国はパキスタンへの帰属を決定しており、同国に併合された。

地理

インダス川支流であるサトレジ川(Sutlej River)の南に位置し、チョリスタン砂漠(Cholistan Desert)地域にある。

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関連項目

脚注

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