ズィーナト・マハルとは? わかりやすく解説

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ズィーナト・マハル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 06:39 UTC 版)

ズィーナト・マハル

ズィーナト・マハル(Zinat Mahal, 1823年 - 1886年7月17日)は、北インドムガル帝国の第17代皇帝バハードゥル・シャー2世の妃。

生涯

ムガル帝国の皇帝バハードゥル・シャー2世と結婚した[1]

1857年5月インド大反乱が勃発すると、ズィーナト・マハルはデリー陥落直前に自身と息子のミールザー・ジャワーン・バフトを殺害せぬよう、イギリスの士官ウィリアム・ホドソンと取引したと言われる[2]。同年9月21日にデリーが陥落し、翌日にジャワーン・バフトの兄弟ミールザー・ムガル、ミールザー・ヒズル・スルターンは殺害されたが、彼らは殺害されなかった[1]

その後、バハードゥル・シャー2世とともにインドから追放され、1886年7月17日に追放先のラングーンで死亡した[1]

脚注

  1. ^ a b c Delhi 20
  2. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.268

参考文献

  • フランシス・ロビンソン 著、月森左知 訳 『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206年 - 1925年)』創元社、2009年。 



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