バッティング・トスマシーンの開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 02:53 UTC 版)
「河辺忠夫」の記事における「バッティング・トスマシーンの開発」の解説
その後の河辺は、全く違う分野で才能を発揮し始めた。きっかけはリンドバーグの店がもたらした。店に客として来ていたプロ野球西鉄ライオンズの坂上惇投手との話の中で打撃練習に2軍投手を使っているが良い球を投げないので満足に打撃練習が出来ないので困る、何か良い知恵は無いかと相談を持ちかけたのが始まりだった。河辺は、機械で投げさせればよいと答えたが、この時の河辺は野球を全く知らず投球に直球のほかにカーブ・フォークなどの変化球が有る事も知らなかった。変化球の説明を受け、「ボールが変化するのは空気の存在です、任せて下さい」と滑空士の経験と、誇りを胸に開発に取りかかった。開発は、打撃と捕手の練習が出来るピッチング・マシーンで始まったが軟球しか使用出来ず米国の特許の壁もあり納得いく製品にならなかった。 そこで、方向変換し安全に公式硬球を打撃練習できるバッティング・トスマシーン開発へと変わっていった。こうして製品化されたのが業界初となる「ベンブロー・トスバッティングマシーン」だった。 コンパクトに作られ打撃練習者とマシーンとの最長での距離も2m程と近く、手軽に本格的な硬球の打撃練習が広い場所をとらないで出来るマシーンは、プロ野球から社会人野球、高校、中学まで硬球を使用する野球チームに使われた。マシーンは、野球の現場だけでなくそのコンパクトで場所を取らない点で思わぬ所へ使用が広がっていった。リゾートの観光ホテル、観光船、連絡船、の娯楽室などで娯楽のための使用が増えてきた。 更に予想を超える所から注文が寄せられた。それはアメリカ軍からで、兵士の娯楽のため大量のマシーンが軍用艦、輸送艦、客船にと積み込まれたり多数の米軍基地でも板付や佐世保の米軍基地より納入発送され使用された。この後、世界グライダー選手権大会の出場は事実上あきらめアイデアを駆使したゴルフ、テニス、卓球などスポーツ器具の開発とオートバイ、マイゼ号(滑空機オリンピ・アマイゼから命名)の生産、販売などに続くユニークなへ事業へと進んで行った。
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