ハーレー政権において
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 01:57 UTC 版)
「サイモン・ハーコート (初代ハーコート子爵)」の記事における「ハーレー政権において」の解説
1710年8月10日、ハーレーが財務大臣に任命され、以降1714年まで実質的に首相を務めた。ハーレーはすぐにトーリー党員のみの組閣に取り組み、ハーコートは大法官就任が噂されたが、彼自身は大法官就任には反対で、法務長官への復帰のみ望んだ。噂自体はハーコートが8月下旬に目の手術を受けたことで沈静化したが、目の問題が大法官に就任しない口実、あるいは交渉の材料だった可能性もある。アン女王が大法官の初代クーパー男爵ウィリアム・クーパー(英語版)の留任を望んだため、ハーレーにとってもハーコートの態度は望ましいことであり、ハーコートは9月16日に法務長官に就任した。初代ハリファックス伯爵チャールズ・モンタギュー(ホイッグ党員で、ハーコートの前任の法務長官サー・ジェームズ・モンタギュー(英語版)の兄)が16日にクーパーの留任に一縷の望みを寄せ、ジョナサン・スウィフト(文人、トーリー党員)が15日にハーコートが国璽尚書に任命されたと誤報して17日に訂正、ハーレーとクーパーがそれぞれ留任の意向を示す(18日と22日)など、この時点ではクーパー留任が決定されたように見えた。しかし、議会解散が決まると、クーパーは一転して23日に辞任した。そして、ハーコートと民事訴訟裁判所大法官(英語版)トマス・トレヴァーが国璽尚書への就任を拒否すると、国璽尚書の職は委員会制(in commission)になり、大法官の職も29日に委員会制になった。その後、ハーコートは10月9日に貴族院に初登院した。 ハーレーが同時期に議会を解散させたため1710年イギリス総選挙が行われ、ハーコートはアビンドン選挙区で返り咲き当選となった。ハーコートは未だに大法官就任に反対したが、ハーレーの説得もあり結局10月16日に国璽尚書に就任した。19日、枢密顧問官に任命された。国璽尚書に就任したことで、貴族でなかったにもかかわらず貴族院議員になり、その結果としてハーコートの就任初期は貴族院における役割が限定的なものであった。1711年5月23日にハーレーが初代オックスフォード=モーティマー伯爵に叙される前後よりハーコート叙爵の噂が流れたが、第2代クイーンズベリー公爵ジェイムズ・ダグラス(1711年7月6日没)、初代ニューカッスル公爵ジョン・ホールズ(1711年7月15日没)、初代ジャージー伯爵エドワード・ヴィリアーズ(1711年8月25日没)など大物政治家の死が相次いだため遅れが生じ、ハーコートは1711年9月3日にようやくグレートブリテン貴族であるオックスフォードシャーにおけるスタントン・ハーコートのハーコート男爵に叙された。 1711年12月、第4代ハミルトン公爵ジェイムズ・ハミルトンがグレートブリテン貴族であるブランドン公爵位に基づき貴族院に議席を有するとの決議に賛成した。スペイン継承戦争におけるフランスとの単独講和について1712年9月26日の閣議で議論され、オックスフォード伯爵と初代ボリングブルック子爵ヘンリー・シンジョンの意見が異なったとき、ハーコートはオックスフォード伯爵を支持した。1713年4月7日、国璽尚書から正式の大法官に昇格した。同年夏、オックスフォード伯爵は来たる総選挙に備えて内閣改造を提案、自身の盟友であるマー伯爵、フィンドレイター伯爵、ウィリアム・ブロムリー、第3代準男爵サー・ウィリアム・ウィンダム、ロバート・ベンソンを任命しようとしたが、ボリングブルック子爵とハーコートを怒らせる結果となり、ハーコートはフィンドレイター伯爵のスコットランド国璽尚書(英語版)への任命に大法官の印章を押さないと述べたほどだった。ハーコートはこの頃よりボリングブルック子爵に接近、1714年4月末にはオックスフォード伯爵が「ハーコート男爵とボリングブルック子爵はジャコバイトに同情的」との噂を流して2人を攻撃した。7月にはハーコートとオックスフォード伯爵の関係が完全に決裂し、15日に長い会議ののち友好的に別れたが、ハーコートはその夜に「悪態をついた」(kissed him at parting and cursed him at night)という。さらに24日には2人が口論になり、オックスフォード伯爵がハーコートに復讐すると何度も誓ったという。オックスフォード伯爵は27日に辞任したが、アン女王に謁見した帰りにハーコートに会い、再び彼を罵ったという。ハーコートとオックスフォード伯爵の争いは結果的に初代シュルーズベリー公爵チャールズ・タルボットが大蔵卿(英語版)に就任するときの一助となった。
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