ハングルの誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 16:30 UTC 版)
李氏朝鮮時代に入ると、ハングルが創製され(1446年)、いよいよ国文による文学が現れる。よって、研究者の立場によってはハングルで記述された文学をもって国文学の誕生とみなす場合もある。しかし、ハングルは漢字の読めない身分の低い(学識の低い)者の文字と蔑む傾向がハングル誕生時から近代に入るまで根強く残り、ハングルでの文学活動は知識人にとってその地位を危うくする危険性を孕んでいた。そのため、朝鮮ではハングル(国文)が誕生して以後も漢文による文学活動が主であり、ハングルでの文学活動では作者は努めてその名を隠そうとした。ハングルで書かれた文献に作者不明のものが多いのはそのためである。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}漢文での文学活動は依然として稗官文学が盛んであり、『於于野譚』『東野彙輯』『青邱野談』『青邱笑叢』『渓西野談』『鵝洲雑録』『芝峯類説』などが書かれる。『古今笑叢』は朝鮮最古の猥談集として知られている。なかでも金時習の『金鰲新話』(1494年)は中国の『剪灯新話』の影響を受けた翻案小説として文学的価値が高い。『金鰲新話』は朝鮮では散逸してしまったが、日本で訓点を入れられて読まれていた。日本の『伽婢子』は『金鰲新話』の翻案とみられている[独自研究?]。 文禄・慶長の役(1592年、1597年)を経ると、軍記がさかんに書かれる。即ち、『懲毖録』(柳成龍)、『奮忠紆難録』(釈南鵬)、『日本往還録』(黄慎)、『少為浦倡義録』(金良器)、『唐山義烈録』(李萬秋)、『龍湾聞見録』(鄭琢)がそれである。その傾向は丙子の乱を受けて更に続き、『丙子湖南倡義録』『丁卯両湖拳義録』『西征録』『江都日記』『南征日記』『戊申倡義事実』『三学士伝』『永陽四難倡義録』『林慶業伝』などが書かれた。 ハングルでの文学活動は仏典の諺解(ハングルの註釈)から始まる。『法華経』『金剛経』『楞厳経』『永嘉経』『釈譜詳節』などがそれである。また、『三綱行実図』『烈女伝』などのように儒教の道徳を婦女子に教えるための読み物も書かれた。時調・別曲なども吏読で書かれていたものがハングルで書かれるようになった。周世鵬の「道東曲」「六賢歌」、金絿の「花田別曲」、尹善道の「孤山諸曲」、李珥の「九曲歌」、李滉の「漁夫歌」「還山別曲」鄭澈の「関東別曲」「星山別曲」などが知られている。 また、ハングルは『童蒙先習』『捷解新語』『捷解蒙語』といった教科書の類に使用された。
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