ハイジャック防止の国際条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 08:32 UTC 版)
「ハイジャック」の記事における「ハイジャック防止の国際条約」の解説
国際協力体制の法的枠組みの構築も図られ、1960年代から1970年代にかけて国際民間航空機関 (International Civil Aviation Organization; ICAO) において航空機にまつわる犯罪を防止するための3つの国際条約が作られた。この3条約とは、1963年の「航空機内で行われた犯罪その他ある種の行為に関する条約」(東京条約)、1970年の「航空機の不法な奪取の防止に関する条約」(ヘーグ条約)、1971年の「民間航空の安全に対する不法な行為の防止に関する条約」(モントリオール条約)だ。 東京条約では、主に飛行中の航空機内で行われた犯罪や航空機の安全を害する行為に対する裁判管轄権や、これら犯罪等を取り締まるための機長の権限などが定められた。東京条約の制定当時はハイジャック発生件数はそれほど多くなく、同条約ではハイジャックは主たる規制対象とは捉えられていなかった。 しかし、同条約が発効した1969年にはハイジャックの発生件数が急増しており、同条約では対処しきれなくなっていた。そこで、1970年に作成されたヘーグ条約では、ハイジャックの防止を主たる目的とし、東京条約では不十分だった点が強化された。同条約では航空機の不法奪取等を犯罪と認め、ハイジャック犯に重い刑罰を科すことを締約国に義務付けたほか、犯人引き渡しに関する規定が定められた。 さらに、1971年に作成されたモントリオール条約では、ハイジャック以外の民間航空の安全に対する一定の不法行為を犯罪とし、その犯人の処罰及び引き渡し等について規定された。同条約では、飛行中だけでなく、業務中の航空機や航空施設に対する破壊や安全を損なう行為についても重い刑罰を科すよう締約国に義務付けた。さらに、裁判権の広範囲な設定や犯人の引き渡しについても規定されている。ヘーグ条約やモントリオール条約では、締約国のいずれかにおいて犯人を処罰する体制を確立し、犯入に逃げ込み場を作らないという一種の世界主義的な考え方が導入されている。 これらの対策にもかかわらずキューバ行きのハイジャックに悩まされたアメリカは、1973年に、国交を断絶中のアメリカとキューバは航空機や船舶の不法奪取及びその他の犯罪に関する協定を結んだ。この協定は、ハイジャック犯人だけをキューバに引き渡し、機体と乗客は速やかに帰国させるというものであった。この協定は、不法奪取行為を防止する実効性を発揮したと評価されている。 その後1978年には、西ドイツのボンで開催された第4回先進国首脳会議において「航空機ハイジャックに関する声明」(ボン声明)が発せられ、国際テロ活動と闘うため参加国が共同して対抗措置をとる決意が表明された。この声明では、犯人の引渡しや訴追を拒絶する国あるいはハイジャック機を返還しない国に対して、航空機の運航を中止することが述べられた。また、声明中で参加国以外への参加も呼びかけている。
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