ハイジャック発生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 06:29 UTC 版)
「ダッカ日航機ハイジャック事件」の記事における「ハイジャック発生」の解説
1977年9月28日に、フランスのパリ、シャルル・ド・ゴール空港発ギリシャのアテネ国際空港、エジプトのカイロ国際空港、パキスタンのジンナー国際空港、インドのムンバイ国際空港、タイのドンムアン国際空港、香港の啓徳国際空港経由東京国際空港行きの日本航空472便(ダグラス DC-8-62、機体番号:JA8033、高橋重男機長以下乗員14名、乗客142名うち犯人グループ5名)が、経由地のムンバイを離陸直後、拳銃、手榴弾などで武装した日本赤軍グループ5名によりハイジャックされた。 同機はカルカッタ方面に一旦向かった後、進路を変更してバングラデシュの首都ダッカのジア国際空港に強行着陸、犯人グループは人質の身代金として600万ドル(当時の為替レート〈1USD≒約266円〉で約16億円)と、日本で服役および勾留中の9名(奥平純三、城崎勉、大道寺あや子、浴田由紀子、泉水博、仁平映、植垣康博、知念功、大村寿雄)の釈放と日本赤軍への参加を要求し、これが拒否された場合、または回答が無い場合は人質を順次殺害すると警告した。この時、犯人グループから「アメリカ人の人質を先に殺害する」という条件が付けられ、この影響を受けて、その後の日本政府の対応にアメリカへの外交的配慮があったとする見方もある。また、この便には当時のアメリカ合衆国大統領ジミー・カーターの友人であるアメリカ人銀行家が乗っており、犯人たちはそのことを事前に知っていた。 その後、ハイジャック機はジェット燃料の消費を抑えるため、エンジンを停止させたことで機内の気温が45度以上に上昇し、熱中症で倒れる者が続出した。しかし、たまたま乗り合わせた日本航空の嘱託医師の穂刈正臣が手当てを行ったほか、機長が空港関係者にエアコンを作動させるための補助動力車と水を要求し、これが受け入れられたためにことなきを得た。 犯人達は人質からパスポートと時計、金銭や貴金属類を没収し、手荷物を降乗口に積み上げバリケードとした。窓のシールドは降ろさせられ、機内での要求は全て女性客にやらせた。
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