ネパールへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 08:53 UTC 版)
中沢はその対象にチベット密教を選び、大学院人文科学研究科博士課程在籍中の1979年(昭和54年)、チベット密教の修行のためにネパールへ赴いた。チベット学者の石濱裕美子によると、中沢がチベット密教に興味を持ったきっかけは、ドイツ人アナガーリカ・ゴーヴィンダ(ドイツ語版)またはラマ・ゴーヴィンダ、本名エルンスト・ロタル・ホフマン(1898年 – 1985年)の自伝的著作『白雲の彼方に』である。カトマンズ盆地のボダナートに住んでいた亡命チベット人ラマであるケツン・サンポ・リンポチェ(フランス語版)(1920年-2009年)に師事し、亡命ニンマ派の初代管長ドゥジョム・リンポチェ(英語版)やその跡を継いだディンゴ・ケンツェー・リンポチェ(英語版)にも会った。中沢が師と仰ぐケツン・サンポ(転生活仏ではないが後にケツン・サンポ・リンポチェと尊称される)は、ゲルク派の僧院で学問を修めたことのあるニンマ派のラマで、還俗して在家密教行者(ンガッパ)となった人物である。1959年にインドに亡命し、翌年ダライ・ラマ14世の要請でドゥジョム・リンポチェの代理として日本に派遣され、10年間、東洋文庫の研究員を務めながら東京大学などでも教鞭を執っていた。チベット学者の山口瑞鳳は彼は東洋文庫で自分の助手をしており、日本語が堪能であったと述べている。以後、ネパール、インド、シッキム、ブータン等で、ゾクチェンと呼ばれるチベット思想や瞑想修行法を学ぶ。「仏教の出てくる根源」への関心から行ったこの修行の影響が、後の中沢の思想を大きく特徴づけるものとなる。1981年、チベット難民の住む土地での寺院建立に向けて、ケツン・サンポとの共著名義で『虹の階梯 - チベット密教の瞑想修行』を出版する。
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