ネット局独自のウルトラクイズとは? わかりやすく解説

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ネット局独自のウルトラクイズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:59 UTC 版)

アメリカ横断ウルトラクイズ」の記事における「ネット局独自のウルトラクイズ」の解説

日本テレビ系列NNNNNS各局では本番組の亜流ともいうべき大人数参加クイズ大会制作放送されていた。ウルトラクイズ名乗り、各系列局アナウンサータレントではなく福留福澤司会担当するなど(例として、福井放送福留功男ウルトラクイズ福井版』、テレビ岩手福留功男ウルトラクイズ岩手版』など)、ルールセットBGMなどに関しても本家を踏襲したものとなっていた。 1994年平成6年)から2001年平成13年)までに福島県岩瀬郡天栄村行われたウルトラクイズinてんえい」は本格的なイベントとして反響呼んだ当初施行40周年記念として開催されその後村おこしとして続いたが、日本テレビ福島中央テレビ協力仰ぎ司会こそ地元アナだが、ウルトラクイズ名物泥んこ飛び込みクイズならぬ不正解だと粉まみれになるシロンコ飛び込みクイズや、ウルトラハットなどのセット本物使ったりと本家に近い形式になり、評判となった1983年昭和58年3月には、ラジオ番組としても制作されことがある日本テレビ系列局でもある青森放送開局30周年記念番組として企画同局のみで放送された。当初青森放送から企画打診され協力要請され日本テレビは、番組タイトル含めて難色示したとされているが、最終的に実験として制作全面的に協力問題の提供や早押しハットなどの機材貸し出し福留スタッフ青森に赴き、福留司会務めた青森放送でも、当時ラジオ制作部所属していた伊奈かっぺいこと佐藤元伸ディレクター務め地元にちなん問題作成台本づくりなどの放送作家的な仕事こなした併せて当時アナウンサーだった大友寿郎ラジオ放送向けの実況カゲの声)を務めている。収録は、青森市内中央3丁目にあった青森県体育館(現在は取り壊され跡地には青森県男女共同参画センター青森県子ども家庭支援センター2つ機能併せ持つ複合施設アピオあおもり」が建っている)で行われた第一次予選は4回に分けて行われ、のべ3,650名が参加した。このときの優勝賞品は、アメリカ西海岸旅行であった多摩地域東京都編入され100周年記念して1993年平成5年)に行われたイベントTAMAらいふ21」の一環として同年夏に自治体とのタイアップによる、ウルトラクイズ同様の形式クイズ番組80大学対抗クイズ選手権」が制作された。この模様日本テレビ深夜ローカル放送された。司会福澤務め(この時の福澤かけ声は「ジャストミートではなくタマ王」だった)、ウルトラクイズスタッフ多数参加した大学生2人1組での参加による大会であった。収録2日間にわたり、多摩名所巡った優勝チームには「タマ王」の称号与えられた。

※この「ネット局独自のウルトラクイズ」の解説は、「アメリカ横断ウルトラクイズ」の解説の一部です。
「ネット局独自のウルトラクイズ」を含む「アメリカ横断ウルトラクイズ」の記事については、「アメリカ横断ウルトラクイズ」の概要を参照ください。

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