ドラマに進出、舞台復帰とは? わかりやすく解説

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ドラマに進出、舞台復帰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 16:29 UTC 版)

萬屋錦之介」の記事における「ドラマに進出、舞台復帰」の解説

昭和30年代後半からテレビ人気奪われ始めた映画産業斜陽化合わせて、錦之助はテレビドラマへの進出を図る。1965年東映京都撮影所東映俳優労働組合結成されると、後輩たちから打診されて委員長就任した。しかし、翌1966年東映内部労働争議収拾できなかったこともあり東映退社1968年に「中村プロダクション」を設立して独立し本格的にテレビ時代劇世界進出したこの頃出演ドラマとして、『子連れ狼』や『破れ傘刀舟悪人狩り』、『破れ奉行』、『長崎犯科帳』、『破れ新九郎』等がある。 1956年小川家による地方巡業お祭』『仮名手本忠臣蔵 八段目道行旅路の嫁入』で舞台復帰毎年6月東京歌舞伎座定期興行打っていた。なお歌舞伎座での興行ありながら、錦之助の演目はほとんどが歌舞伎ではない新作時代劇であり、歌舞伎であっても全て明治以降作られいわゆる新歌舞伎であった本人古典伝統歌舞伎をやるつもりはなく、「子別れ歌舞伎演目一つである"重の井子別れ"のこと)なんてできねぇよ」と言っていた。 映画界入り後に舞台つとめた歌舞伎の演目次のとおり。 『紅葉狩』(1971) 真山青果元禄忠臣蔵浜御殿綱豊卿』(1972真山青果頼朝の死』(19731982真山青果新門辰五郎』(1976) 岡本綺堂番町皿屋敷』(1974河竹黙阿弥極付幡随長兵衛』(19801994) 『お祭』(1956年地方巡業) 『仮名手本忠臣蔵 八段目道行旅路の嫁入』(1956年地方巡業1994)。 復帰狂言お祭』は、大向うの「待ってました!」掛け声の後に役者が「待っていたとはありがてえ」という、復帰からめたお馴染みのもの。『道行旅路の嫁入』は本人は「ごちそう」(特別出演)として一瞬登場するだけである。最晩年1994年演じた極付幡随長兵衛』の長兵衛役は二代目右衛門のを忠実に演じたが、水野役の片岡孝夫十五代仁左衛門)とは子役時代からの友人である関係から、錦之介は「孝夫ちゃんと一緒にできる」と久々共演楽しんでいた。また、レコード歌手としてもデビューし、「やくざ若衆」「いろは小唄」などの曲をリリースし、「錦ちゃん祭り」というライブ・イベントを各地開催した

※この「ドラマに進出、舞台復帰」の解説は、「萬屋錦之介」の解説の一部です。
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