ドラマに進出、舞台復帰
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「萬屋錦之介」の記事における「ドラマに進出、舞台復帰」の解説
昭和30年代後半からテレビに人気を奪われ始めた映画産業の斜陽化に合わせて、錦之助はテレビドラマへの進出を図る。1965年に東映京都撮影所に東映俳優労働組合が結成されると、後輩たちから打診されて委員長に就任した。しかし、翌1966年に東映内部の労働争議を収拾できなかったこともあり東映を退社。1968年に「中村プロダクション」を設立して独立し、本格的にテレビ時代劇の世界に進出した。この頃の出演ドラマとして、『子連れ狼』や『破れ傘刀舟悪人狩り』、『破れ奉行』、『長崎犯科帳』、『破れ新九郎』等がある。 1956年の小川家による地方巡業『お祭』『仮名手本忠臣蔵 八段目道行旅路の嫁入』で舞台に復帰。毎年6月に東京・歌舞伎座で定期興行を打っていた。なお歌舞伎座での興行でありながら、錦之助の演目はほとんどが歌舞伎ではない新作時代劇であり、歌舞伎であっても全てが明治以降に作られたいわゆる「新歌舞伎」であった。本人も古典・伝統歌舞伎をやるつもりはなく、「子別れ(歌舞伎演目の一つである"重の井子別れ"のこと)なんてできねぇよ」と言っていた。 映画界入り後に舞台をつとめた歌舞伎の演目は次のとおり。 『紅葉狩』(1971) 真山青果『元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿』(1972) 真山青果『頼朝の死』(1973、1982) 真山青果『新門辰五郎』(1976) 岡本綺堂『番町皿屋敷』(1974) 河竹黙阿弥『極付幡随長兵衛』(1980、1994) 『お祭』(1956年地方巡業) 『仮名手本忠臣蔵 八段目道行旅路の嫁入』(1956年地方巡業、1994)。 復帰狂言『お祭』は、大向うの「待ってました!」掛け声の後に役者が「待っていたとはありがてえ」という、復帰にからめたお馴染みのもの。『道行旅路の嫁入』は本人は「ごちそう」(特別出演)として一瞬登場するだけである。最晩年の1994年に演じた『極付幡随長兵衛』の長兵衛役は二代目吉右衛門のを忠実に演じたが、水野役の片岡孝夫(十五代目仁左衛門)とは子役時代からの友人である関係から、錦之介は「孝夫ちゃんと一緒にできる」と久々の共演を楽しんでいた。また、レコード歌手としてもデビューし、「やくざ若衆」「いろは小唄」などの曲をリリースし、「錦ちゃん祭り」というライブ・イベントを各地で開催した。
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