デリケートな題材
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/29 06:11 UTC 版)
「ラット (漫画家)」の記事における「デリケートな題材」の解説
ラットが『ニュー・ストレーツ・タイムズ』に連載を始めたころ、マレーシアの政治漫画家は政治家に対してオブラートに包んだ描写しかしなかった。政治家の似顔絵は写実的に描かれ、批判は遠回しなポエムとして表現された。しかしラットはその限界を押し広げた。政治家の似顔絵を描くときは、一定の品位は保っていたものの、容貌や癖を容赦なく誇張した。ラットが回想するところでは、1974年にマレーシアの総理大臣アブドゥル・ラザクを背後から描いた作品を修正するよう求められた。リーはその作品をそのまま印刷することを拒み、「監獄行きになりたいのか?!」と迫った。しかし、翌年にラットが再び描いた政治風刺漫画はリーの承認を得ることができた。その漫画には、ラザクの後任フセイン・オンがラクダの背に乗り、サウジアラビアからクアラルンプールまでの帰途につくさまが戯画化されていた。自らの帰国とともに公務員給与の引き上げが立法化されるニュースを読んだフセインが、ゆっくり進むようにラクダに声をかけるのが笑いどころであった。 マレーシアの政治家階層は次第にラットの戯画化に馴れ、一般の国民と同じように楽しむようになった。ムリヤディはラットの作風を「さりげなく、遠回しで、象徴的」と表現し、倫理的にも美的にもマレーシアのユーモアの伝統を受け継いでいると述べた。伝統にのっとったラットの漫画は国民的な尊敬を集めた。ラットが政治家を批判するとき、対象の地位や人間性からは「ありえない、考えられない、思いがけない」状況に置いてそのコントラストからユーモアを生み出す。マレーシアの第4代総理大臣マハティール・ビン・モハマドは活動期間のほとんどを通じてしばしばラットの漫画に取り上げられてきた。20年にわたってマハティールが積み上げてきた漫画の材料は、146ページの作品集 Dr Who?!(2004年)を生み出した。ラットの機知は、国内の政治家だけでなく、イスラエルの中東政策や、シンガポールの卓越した政治家リー・クアンユーのような外国人にも向けられた。作品の多くが政治的な性格を持っているにもかかわらず、ラットは自身を政治漫画家とみなしておらず、その分野ではもっと優れた作家がいると公言している。 ラットは自分の表現に可能な限り敵意を込めないようにしている。特に人種や文化、宗教に対しての配慮を欠かさないのは、師ルジャブハッドの助言に従ったものである。漫画の着想を練る際にも、悪意や無神経さが感じられる部分は取り除く。東京で開催された第4回アジア漫画展において、自作で宗教的な内容を扱うのは自身の信仰であるイスラムに限っていると明かした。イスラムを描くときも、漫画を通して若い世代に自身の信仰を伝えようとする。ラットは自作に公刊すべきではない部分があれば、担当編集者がカットしてくれると信じている。あるインタビューでは、漫画家が一人でチェックを受けずに創作を行うと「ゴミ」が生まれるかもしれないため、自己出版には抵抗があると述べた。ラットは自分がなじんでおり能力を発揮できる領域では独断的であることを好む。ラットはいったん描いた作品を修正することは頑として許さない。編集者が修正を要求したため、結局出版されずに終わった作品も複数ある。そのような場合、編集者は紙面上でラットの連載が載る位置を丸ごと没(空白)にする。ラットはお蔵入りとなった作品の存在を認めてこう語っている。「そうだな、おそらく私がちょっと強硬すぎたんだろう。でもトラブルになったことはないし、正直なところボツになった漫画はほんの一握りだよ」。
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