デビューとツアー
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「ブラインド・フェイス」の記事における「デビューとツアー」の解説
グループ結成のニュースはメディアとファンに興奮を持って迎えられ、「スーパー・クリーム」との告知さえ行われた。バンドは、1969年6月7日にロンドンのハイド・パークで行われたフリーコンサートでデビューし、当時史上最高の10万人を動員したという。その内容は観客から良く受け取られたものの、クラプトンは演奏は平均以下であると考え、群衆がほとんど全てに拍手喝采するのを、へつらいであり過分であって、クリーム時代の名声の名残によるものだと考えていた。クラプトンは、バンドが十分にリハーサルもせず十分な準備が出来ていないと考え、ツアーに出ることを嫌がった。バンドがクリームの二の舞になることを恐れたのである。 ウィンウッドはアイランド・レコードと契約していたので、彼はクラプトンとベイカーがイギリスで契約していたポリドール・レコードへの貸し出しという形になった。おそらくはこの取引の一部として、彼らはアイランド・レコードのためのプロモーションシングルを一枚リリースした。このシングルは、アイランドがオフィスを移転したことを発表するためのものであり、「Change Of Address From 23 June 1969」と題され、片面のみにインストゥルメンタル・ジャムが収められ、ラベルにグループの情報は全く記載されなかった。ラベルに記載されたその他の情報はアイランドの新たな住所、電話番号、ケーブルアドレスのみであった。このセッションは、おそらく1969年3月から5月の間にオリンピック・スタジオで行われたもので、500枚ほどがプレスされ、ほとんどがイギリスのディスクジョッキーや音楽業界人に配付されたと考えられている。そのジャム・セッションは、31年後の2000年に発表された『スーパー・ジャイアンツ』デラックス・エディションのボーナスCD「Change of Address Jam」として日の目を見ることとなった。 ハイド・パークでのコンサートの後、アルバムに向けてのレコーディングは継続されつつスカンジナビアでの短期ツアーが行われた。バンドは小さなギグを行い、それはアメリカ及びイギリスでのツアーのリハーサルとなった。短期ツアーの後、バンドはアメリカでのツアーを行い、7月12日にはマディソン・スクエア・ガーデンにおいて、2万人の聴衆の前でプレイした。アメリカ・ツアーは7週間続き、8月24日のハワイで終了した。 ツアーでの大きな問題は、パンドのレパートリーがごく僅かで、1時間を満たすのがやっとである事だった。彼らは、聴衆を喜ばせるためにやむを得ず、新たなナンバーよりも更に古く人気のあったクリームやトラフィックのナンバーを演奏することになり、これはクラプトンがまさにそうありたくないと考えていた状況であった。「スーパー・クリーム」はマディソン・スクエア・ガーデンでの公演初日で観客が引き起こした暴動の中、にっちもさっちもいかない状態に陥り、彼らは観衆をなだめ、新曲の不足によって残された空白を埋めるために、クリーム時代からの同じマテリアルをプレイした。 彼らの前座を行ったのはフリー、テイスト、デラニー&ボニーといったバンドであった。特にクラプトンは、デラニー&ボニーの魂がこもった、気さくなブルースを気に入っていた。彼はブラインド・フェイスよりもデラニー&ボニーと過ごす時間が増え、バンドにおいてはウィンウッドに、より際立った役割を任せるようになった。
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