テレビ映画と記録映画の時代
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「川部修詩」の記事における「テレビ映画と記録映画の時代」の解説
1960年(昭和35年)12月1日の大蔵貢退陣を経て、翌1961年(昭和36年)8月の新東宝の倒産まで、同社に所属して出演を継続したが、これを機にフリーランスになる。宣弘社プロダクションが製作し、同年7月25日に放映された『恐怖のミイラ』第4話『墓地の怪人』を皮切りに、同社の『隠密剣士』(1962年)、東映テレビプロダクションの『特別機動捜査隊』(1963年)といった多くのテレビ映画への出演を開始する。 元新東宝社長の大蔵貢が大蔵映画で成人映画を中心とした劇場用映画の製作・配給業務を開始すると、同社が1962年(昭和37年)5月1日に配給・公開した『不完全結婚』(監督木元健太・小林悟)に出演、1964年(昭和39年)には、元新東宝の小森白が設立した小森プロダクション(東京興映)が製作し、新東宝の旧関西支社が独立した新東宝興業(現在の新東宝映画)が配給した成人映画『0歳の女』に可能かづ子とともに主演、同社では『青い乳房の埋葬』(1964年)、『渇いた唇』(1964年)、『女ざかり』(1965年)に出演、翌1965年(昭和40年)5月に公開された『艶説四谷怪談』(監督藤田潤八、製作東京放映)には、左京未知子とともに主演した。『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者として、扇町京子、橘桂子、城山路子(光岡早苗と同一人物)、内田高子、香取環、新高恵子、松井康子、西朱実、朝日陽子、火鳥こずえ、華村明子、森美沙、湯川美沙、光岡早苗、路加奈子、有川二郎、里見孝二、佐伯秀男とともに川部の名を挙げている。しかしながら、1966年(昭和41年)1月に公開された『番頭お色け日記』(監督藤田尚、配給ヒロキ映画)を最後に独立系成人映画に出演した記録は見当たらず、まさに黎明期にのみ活躍した人物であった。 俳優としてのテレビ映画出演に並行し、秋田 謙三の名でテレビ台本の執筆、記録映画・文化映画の製作・演出を行った。岩手県の平泉をテーマにした短篇映画『まぼろしの都 平泉』を1968年(昭和43年)11月に完成、翌1969年(昭和44年)に発表している。
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