テレビ映画と記録映画の時代とは? わかりやすく解説

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テレビ映画と記録映画の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 19:54 UTC 版)

川部修詩」の記事における「テレビ映画と記録映画の時代」の解説

1960年昭和35年12月1日大蔵貢退陣経て、翌1961年昭和36年8月新東宝の倒産まで、同社所属して出演継続したが、これを機にフリーランスになる。宣弘社プロダクション製作し同年7月25日放映された『恐怖のミイラ第4話墓地怪人』を皮切りに同社の『隠密剣士』(1962年)、東映テレビプロダクションの『特別機動捜査隊』(1963年)といった多くテレビ映画への出演開始する。 元新東宝社長大蔵貢大蔵映画成人映画中心とした劇場用映画製作・配給業務開始すると、同社1962年昭和37年5月1日配給公開した『不完全結婚』(監督木元健太小林悟)に出演1964年昭和39年)には、元新東宝小森白設立した小森プロダクション東京興映)が製作し新東宝の旧関西支社独立した新東宝興業現在の新東宝映画)が配給した成人映画0歳の女』に可能かづ子とともに主演同社では『青い乳房の埋葬』(1964年)、『渇いた唇』(1964年)、『女ざかり』(1965年)に出演、翌1965年昭和40年5月公開された『艶説四谷怪談』(監督藤田潤八、製作東京放映)には、左京未知子とともに主演した。『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期成人映画界のおもな出演者として、扇町京子桂子城山路子光岡早苗同一人物)、内田高子香取環新高恵子松井康子西朱実朝日陽子火鳥こずえ明子森美沙湯川美沙光岡早苗路加奈子有川二郎里見孝二、佐伯秀男とともに川部の名を挙げている。しかしながら1966年昭和41年1月公開された『番頭お色日記』(監督藤田尚、配給ヒロキ映画)を最後に独立系成人映画出演した記録見当たらず、まさに黎明期にのみ活躍した人物であった俳優としてのテレビ映画出演並行し秋田 謙三の名でテレビ台本の執筆記録映画文化映画の製作・演出行った岩手県平泉テーマにした短篇映画まぼろし都 平泉』を1968年昭和43年11月完成、翌1969年昭和44年)に発表している。

※この「テレビ映画と記録映画の時代」の解説は、「川部修詩」の解説の一部です。
「テレビ映画と記録映画の時代」を含む「川部修詩」の記事については、「川部修詩」の概要を参照ください。

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