テレビプロデューサー・実業家として
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「宮島将郎」の記事における「テレビプロデューサー・実業家として」の解説
1962年(昭和37年)日本テレビ放送網株式会社入社、芸能局音楽班配属。教育・音楽番組を制作。宮島が最も気に入っている番組は幼児教育番組『カリキュラマシーン』だという。同番組は現在も多くの番組に影響を与えている(詳細は『カリキュラマシーン』の項を参照)。同番組については放映当時子供であった視聴者たちによる「平成カリキュラマシーン研究会」というファンクラブが存在し、2020年現在も宮島と交流がある。 1981年(昭和56年)日本テレビ音楽株式会社に出向。オーディション番組『スター誕生』に合格した中森明菜、小泉今日子等のデビューを支援したが、制作第一線を離れた物足りなさと、「馬鹿な上司がいないところで好きな仕事をしたい」という思いが昂じ、1983年(昭和58年)に日本テレビ放送網株式会社を退社。「株式会社モザイク」を設立し代表取締役に就任。「知恵を売るビジネス」を標榜し新宿にオフィスを構える。商品・コンセプトの企画・開発・マーケティング、商品の輸入販売、ソフトウェアの企画・開発等を手掛けた(なお、株式会社モザイクには1名のイェール大学Whiffenpoofs(後述)出身者が勤務している)が、次第に経営が限界となり、採算事業のみを担当役員・社員とともに順次独立させ、最後には宮島一人と累積債務だけが残った。2003年(平成15年)、新宿のオフィスを閉鎖し入間市へ移転。株式会社モザイクは休眠する。なお累積債務は宮島個人が完済した。 2005年(平成17年)にインターネットでのカリキュラマシーンファンとの交流をきっかけに、「今のテレビに無い番組を自分で作ろう」と思い立ち、宮島の個人プロジェクト「大逆襲プロダクション」を旗揚げ(奇妙な名前はラジオパーソナリティーを務めた番組(後述)より採られた)。平成版カリキュラマシーン(?)幼児教育ギャグ番組『パピプペポロン』を制作。プロデューサーは宮島、スタッフは日本テレビ時代等の人脈、台本等は番組ファンの有志、出演者は近隣住民等であった。ケーブルテレビ会社に販売する目論見であったが、現在まで買い手は現れず、宮島が拠出した製作費500万円は未回収となっている。 2018年(平成30年)「今のテレビには無い、真面目で、世のため、人のためにになる番組を作って公開する」ことを目的に、「昔のテレビ局株式会社」をインターネットに設立し、代表取締役に就任。80歳を超える現在も新規事業を軌道に乗せるために第一線で奔走している。
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