テストパイロット学校
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「ユージン・ペイトン・ディートリック」の記事における「テストパイロット学校」の解説
1967年初頭、ディートリックはアメリカ本土に帰還した。そして1967年5月から1968年6月まで、カリフォルニア州エドワーズ空軍基地の空軍航空宇宙研究パイロット学校(英語版)で校長を務めた。1967年7月11日、同校に対して空軍殊勲部隊章(英語版)が授与されている。 彼の在職中、同校ではNF-104A練習機(英語版)を用いた教育が始まった。NF-104AはF-104戦闘機を原型とする宇宙飛行士養成用の特殊練習機であり、航空宇宙訓練機(Aerospace Trainer, AST)とも呼ばれた。3機のF-104戦闘機がNF-104A練習機としての改造を受けた。計画はパイロット学校によって管理されていたものの、試験飛行はロッキード社や空軍試験飛行センター(英語版)から派遣された経験豊富なテストパイロットらによって行われ、教育中の学生が参加することはなかった。試験飛行は1963年から始まったが、同年12月10日にはNF-104A練習機の56-0762号機が機体が損傷した上パイロットも負傷する深刻な事故を起こした。残りの2機には安全のための改善が講じられ、また試験飛行時の最大高度および上昇角度も制限された。しかし1965年6月18日には56-0756号機が火災を起こす。その後、窒素消化システムを追加し、更なる飛行試験が行われた後、1968年5月になってようやく学生らによる訓練飛行が許可された。 当時、NF-104A練習機で教育を受けた学生の中には、後に航空戦闘軍団司令を務めるマイク・ロー(英語版)もいた。1971年6月、飛行中にロケットモーターが爆発する事故が起こったことで56-0756号機の廃棄が決定し、同年12月には訓練計画そのものが中止された。最後まで残ったNF-104A練習機56-0760号機は、空軍テストパイロット学校の正門に展示されている。 1967年5月27日、クツターウン大学の学生寮ディートリック・ホールのデートストーン(英語版)除幕式で講演を行う。この寮名はクツターウン大の教授だったディートリックの祖父、ウィリアム・ウィルバーフォース・ディートリック(William Wilberforce Deatrick)にちなんだ命名であった。1968年より国防大学に出席。1969年に卒業した後はアメリカ統合参謀本部付幕僚に就任。1972年からアンドルーズ空軍基地にて空軍システム軍団試験部長として勤務し、1974年にアメリカ空軍を退役する。
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