ターボエンジン全盛期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 02:10 UTC 版)
「F1世界選手権の歴史」の記事における「ターボエンジン全盛期」の解説
自動車メーカーが相次いでターボエンジンの開発・供給に乗り出すとDFVエンジンの共栄時代は終わり、1000馬力を超える熾烈なパワー競争が繰り広げられた。FISAが厳しいエンジン規制を課すなか、燃費と出力のバランスに優れたターボエンジンが勝利を独占する傾向が強まり、TAGポルシェ、次いでホンダが最強エンジンと呼ばれた。 この2メーカーと組んで一時代を築いたのがロン・デニス率いる新体制マクラーレンであり、1984年から1991年までの8年間に6度ダブルタイトルを制覇した(1984年には16戦12勝、1988年には16戦15勝を記録)。また、ジョン・バーナードの設計で1981年に実用化されたカーボン製モノコックは、車体剛性を高め安全性の面でも顕著な進歩をもたらした。 80年代に3度のワールドチャンピオンを分け合ったネルソン・ピケとアラン・プロストを筆頭に、遅咲きのナイジェル・マンセル、そして新星アイルトン・セナを加え、ターボ時代の「四強ドライバー」と呼ぶ向きもあった。マクラーレンで最強コンビを組んだプロストとセナは2年続けて接触でチャンピオンを決するという遺恨を残し、熾烈なライバル意識がコース内外で注目を集めた。 しかし、耐久レースや世界ラリー選手権グループBなどの他カテゴリでターボエンジン搭載車の重大事故が続発した事により、行きすぎたパワー競争は終焉を迎える。FISAが1989年から「自然吸気式3,500ccエンジン、過給式エンジン禁止」とルールを改訂したため、ターボエンジン全盛の時代は幕を下ろす事となった。ただし、これを機に新興コンストラクターの参入が相次ぎF1は活況を見せ、1992年まで予備予選が実施されることとなる。
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