タイ南部紛争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 00:14 UTC 版)
詳細は「タイ南部紛争(英語版)」を参照 タクシン・チナワットが首相になるやいなや、タクシンの強権的な政治体制が深南部三県の住民を刺激し、事態は一気に悪化した。2004年4月28日には、大規模な武力衝突がクルーセ・モスクで起こっている。 このような反政府運動の多くはパタニ王国再興を掲げており、栄光の時代であったパタニ王国時代への強い回帰指向が窺える[独自研究?]。その上で、栄光を奪い貧困の原因を作った(と彼らが考える)タイ政府を敵視し、独立すればかつての栄光が戻るという希望がこのような運動を生み出した背景であるとも言える[独自研究?]。また、このような運動の高まりとしてアメリカ同時多発テロ事件が引き金になっているとも指摘されている[誰によって?]。 2011年現在、深南部三県ではイスラーム武装組織による爆弾テロや軍や警察車両を狙った襲撃事件が多発しており、これに国境付近で活動する地元の麻薬密輸組織も襲撃事件を起こし、治安は最悪の状況である。イスラーム武装組織のテロの標的は、政府機関だけでなく公立学校や教師も標的となっている。テロの死傷者の数は、ムスリムと仏教徒の半々の割合である。 仏教僧殺害事件なども起こっていることから、仏教対イスラム教との構図で捉えられることもある。実際、深南部三県ではムスリム人口の方が多いのにも関わらずモスクの数が少ない。逆に、仏教徒人口が少ないのにも関わらず仏教寺院が多く建設されている。また、断食月(ラマダーン)の最中でもこれとは関係の無い仏教徒が飲食を行うため、ムスリムの中には自分たちの宗教が蔑ろにされている、尊重されていないと感じ、仏教徒に対する反感の土壌になっているとの指摘もある[誰によって?]。逆に、多数派タイ人(仏教徒)の間には深南部三県でテロが続発していることから、「ムスリム=テロリスト」という偏見が広がっているとされる。一方で、こうした住民対立を解消しようと地元のNGOが対話活動を行っている。 タイ政府もこうした事態を深刻に受け止め、インフラ整備や福祉拡充などを行っているが、山間部では治安の悪さから、住民支援にも軍の同行が必要である。2006年9月19日のタイ軍事クーデター以降は、親タクシン派の反独裁民主戦線 (UDD) と反タクシン派の民主市民連合 (PAD) による国を二分する対立にタイ政府が忙殺され、深南部三県にまで政府の対策の手が回っていないというのが現状である。
※この「タイ南部紛争」の解説は、「深南部 (タイ)」の解説の一部です。
「タイ南部紛争」を含む「深南部 (タイ)」の記事については、「深南部 (タイ)」の概要を参照ください。
- タイ南部紛争のページへのリンク