セルゲイ・ナルイシキン
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セルゲイ・ナルイシキン
Сергей Нарышкин
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2016年
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生年月日 | 1954年10月27日(70歳) |
出生地 | ![]() ![]() レニングラード |
出身校 | レニングラード機械大学 KGB赤旗大学 |
前職 | KGB諜報員(?) 科学・技術委員会専門官 |
所属政党 | ![]() ![]() |
称号 | 名誉勲章 |
配偶者 | タチアナ・ナルイシキナ |
子女 | 長男 : アンドレイ 長女 : ヴェロニカ |
在任期間 | 2016年10月5日[1] - |
大統領 | ウラジーミル・プーチン |
在任期間 | 2016年10月5日 - |
大統領 | ドミートリー・メドヴェージェフ ウラジーミル・プーチン |
在任期間 | 2011年12月21日 - 2016年10月5日 |
大統領 | ドミートリー・メドヴェージェフ ウラジーミル・プーチン |
在任期間 | 2011年12月21日 - 2016年10月5日 |
大統領 | ドミートリー・メドヴェージェフ ウラジーミル・プーチン |
在任期間 | 2008年5月12日 - 2011年12月20日 |
大統領 | ドミートリー・メドヴェージェフ |
その他の職歴
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![]() (2011年(?) - ) |
軍歴 | |
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所属組織 | ![]() ![]() |
軍歴 | 1978年頃 - 1991年 (KGB) 2016年 - (СВР) |
最終階級 | ナルイシキンのKGB時代の最終階級は不明。![]() 第1級ロシア連邦現役国務参事官 [注釈 1] |
指揮 | ![]() |
セルゲイ・エフゲニエヴィチ・ナルイシキン(ロシア語: Серге́й Евге́ньевич Нары́шкин、ラテン文字転写の例:Sergey Yevgenyevich Naryshkin、1954年10月27日 - )は、ロシアの政治家。ソビエト連邦の元諜報員である可能性が高く、その経歴から対外情報庁(SVR)長官を務めている。その他にも大統領府長官、国家院議長を歴任し、統一ロシアの最高評議会議員でもある。
概要
KGB出身ということで、ウラジーミル・プーチン大統領の側近にしてシロヴィキの一員であり、サンクト派(レニングラード組)にも属する。国家院議長や大統領府長官、諜報機関の長でたる対外情報庁長官の役職に代表されるように、キャリアのほとんどをプーチンの近くで過ごしてきた[2]。
経歴
生い立ち
1954年10月27日にロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)に誕生する。ナルイシキンの祖母、祖父、父、叔母は大祖国戦争の間、レニングラード包囲戦の中で過ごしていた。彼の父親は飢餓で死の淵に立たされたが、郊外に住む親戚が持ってきた半袋のジャガイモによって命が救われたという[3]。
ナルイシキンは1972年に芸術・美学を専門とする第190学校を卒業した[4]。1978年に無線機械技師専攻でレニングラード機械大学(現在のD・F・ウスチノフ名称バルト国立工科大学を卒業。大学では英語とフランス語を専門とした。1982年にレニングラード工業大学(現在のサンクトペテルブルク工科大学)の副学長補佐となる。
KGBでの勤務
非公式の情報によると、ナルイシキンは1978年からソ連国家保安委員会(KGB)に所属したとされる。同年から1982年にかけて、KGBの特別教育機関で訓練を受け、その後KGB赤旗大学で学び、彼自身の証言によると、そこで後のロシア連邦大統領となるウラジーミル・プーチンと知り合った。研修中、ナルイシキンは「ナウモフ」というコードネームを使用していた[5][6]。
1986年から1989年まで、国家科学・技術委員会の専門官として駐ベルギーソ連大使館経済参事官の元で働く。
ソ連崩壊後の経歴
1992年から1995年にサンクトペテルブルク市役所の経済・財政委員会の課長となり、元KGBの同僚のプーチンと共に働いた。1995年から1997年にサンクトペテルブルク市のプロムストロイバンク対外投資課長を務める。1996年から2004年までタバコ工場「フィリップ・モリス・イゾラ」取締役会メンバーに選出される[7]。1997年から1998年にレニングラード州政府投資部長を務める。1998年から2004年にレニングラード州政府対外経済・国際関係委員会議長を務める。2004年2月から3月にロシア連邦大統領経済局副局長を務める。2004年3月から9月にロシア連邦政府官房副長官を務める。2007年9月13日に第2次ミハイル・フラトコフ内閣にて連邦政府官房長官を務めた。2007年2月15日に第2次ミハイル・フラトコフ内閣にてロシア連邦副首相に昇格。主に独立国家共同体域内の対外経済を担当。ドミートリー・メドヴェージェフ第一副首相及びセルゲイ・イワノフ第一副首相に次ぐ「ポスト・プーチン」の有力候補だったが、メドヴェージェフが後継者に指名された。
2008年5月にメドヴェージェフの大統領就任に伴い、大統領府長官に任命された。フィナンシャル・タイムズのジャーナリスト、チャールズ・クローバーが指摘するように、ナルイシキンはメドベージェフのお目付け役として大統領府長官に任命されたとされる[8]。2011年12月4日、ロシア連邦議会下院(国家院)第6期議員に選出され、同年12月21日には賛成238票・反対88票を得て国家院議長に選出された[9](ドミートリー・メドヴェージェフ政権とウラジーミル・プーチン政権にて)。2012年4月5日にはベラルーシ・ロシア連合国家議会議長に満場一致で選出された[10]。
ロシア連邦議会下院第7期(2016年)の選挙では、統一ロシアからレニングラード州キンギセップ第112選挙区から立候補し議員に選出された[11]。

日本との関係では大統領府長官時代に訪日している他、2012年6月に横路孝弘衆議院議長の招きで訪日しており、野田佳彦首相・玄葉光一郎外相と会談している[12][13]。2014年6月2日から6月3日に再び訪日し、東京都内で開かれた文化交流イベントの「ロシア文化フェスティバル」に出席し[14][15]、伊吹文明衆議院議長・山崎正昭参議院議長らと会談した。
SVR長官としての経歴

2016年9月22日に同年10月5日より次期ロシア対外情報庁(SVR)長官を務めるようプーチン大統領に任命され[1]、10月5日に招集されたロシア連邦議会で国家院議長を辞任した。
ナルイシキンは2018年1月27日から28日にかけて、FSB長官のアレクサンドル・ボルトニコフとロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)長官のイーゴリ・コロボフとともにアメリカを訪問した。ナルイシキンらはワシントンで中央情報局(CIA)長官のマイク・ポンペオと会談したが、この訪問はアメリカのオブザーバーから極めて異例であると見なされた[16]。ポンペオ長官がメディアに向けて発表したところによると、両者は、中東情勢の「イスラム国」の脅威について話し合ったとされる[17]。ナルイシキンは、2018年12月にテレビ局「ロシア1」のインタビューで、自身がSVR長官在任中に22カ国の情報機関の長を訪問したと述べている。
2021年11月、ナリシキンはロシアがウクライナに侵攻する可能性について、報道のコメントでロシアの侵攻準備に関する主張は「アメリカ国務省のプロパガンダである」と述べた[18]。
2022年2月21日にプーチン大統領が招集した安全保障会議でウクライナ東部の親ロシア地域の独立承認について意見を求められた際には回答に困り、「はっきり答えて」と問い詰めるプーチンにたじろぎ、「独立承認」を「ロシア編入」と取り違えてしまい、プーチンから「そんな話はしていない」と苦言を呈される場面が、国営メディアで公開された[19]。
人物
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妻帯で2児を有する。名誉勲章を受章。2004年7月からロスネフチ役員を務める。またレニングラード機械大学の他に経済学専攻でペテルブルク国際マネージメント大学を卒業した。英語とフランス語を話す。ちなみにロシアの政治家の中でも親日家として知られているが、北方領土問題に関しては他の政治家と足並みを揃え、日本に対して2島先行譲渡論を推奨している。
2011年の国家院選挙前に公表された候補者の収入と資産に関するデータによると、ナルイシキンの不動産は、レニングラード州にある36平方メートルの小さな家だった[20]。
公式データによると、ナリシキンとその妻の2011年時点での収入は610万ルーブルであった。夫妻は、総面積5000平方メートルの2つの土地、住宅1棟、アパート3戸を所有していた[21]。
その他
2014年12月には広島・長崎への原爆投下を「人道に対する罪」として法学者による法的評価が必要との発言を行った[22]。
制裁
ナルイシキンはロシアによるウクライナ侵攻への関与、それに伴うウクライナの領土保全の侵害を支持したことで、様々な国から国際的な制裁を受けている[23][24]。 クリミアの併合とドンバス戦争への関与のため、2014年3月20日にアメリカの制裁対象となり[25] 、2014年3月21日には「ウクライナにおけるロシア軍の行動に対する公的な支持」を理由に、欧州連合(EU)全加盟国の制裁リストに掲載された[26]。また、カナダ、スイス、オーストラリアの制裁対象にも掲載された。
ロシアのウクライナ侵攻を受けて、アメリカはナルイシキンに対する制裁を拡大し、「ウクライナにおけるロシアの悪行」の制裁リストに追加した[27]。また、ウクライナへの攻撃を公に支持したとして、日本、ウクライナ、ニュージーランドの制裁リストにも追加された[28][29]。
脚注
- ^ a b 対外情報庁長官についての布告・ロシア大統領府 (Указ о директоре Службы внешней разведки • Президент России) - 2016年9月22日
- ^ ポール・カービー「プーチン大統領の側近たち この戦争はどういう顔ぶれが遂行しているのか」BBC(2022年3月5日)2024年5月18日閲覧
- ^ Спиридонова, Наталия Александровна (2019年12月20日). “Самое главное в жизни”. Настоящее прошедшее. Российское историческое общество, ТРК «Плеяда». 2021年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月4日閲覧。
- ^ Вице-премьер Нарышкин прыгал на Фонтанку в школьной форме アーカイブ 2016年1月26日 - ウェイバックマシン // Комсомольская правда
- ^ “- YouTube”. www.youtube.com. 2019年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月16日閲覧。
- ^ Максим Иванов, Иван Сафронов, Наталья Корченкова, Анастасия Мануйлова, Олег Сапожков (2019年5月20日). “Спикеров делать из этих людей” (html). Коммерсантъ. 2019年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月23日閲覧。
- ^ Борьба с курением: почему смягчается антитабачный закон // Аргументы и факты, 05 декабря 2012.
- ^ Россия: уход в тень アーカイブ 2014年9月12日 - ウェイバックマシン // Financial Times
- ^ “Naryshkin named Russia's parliamentary speaker”. RIAノーボスチ. (2011年12月21日) 2011年12月26日閲覧。
- ^ Нарышкин стал спикером союзного парламента России и Белоруссии アーカイブ 2012年4月6日 - ウェイバックマシン // Вести.ру
- ^ Выборы депутатов Государственной Думы Федерального Собрания Российской Федерации седьмого созыва : Данные кандидата : Нарышкин Сергей Евгеньевич アーカイブ 2016年8月28日 - ウェイバックマシン /// Сайт ЦИК России
- ^ ナルィシュキン・ロシア国家院(下院)議長による野田総理大臣表敬”. 外務省ホームページ (2012年6月11日). 2012年6月19日閲覧。 “
- ^ 玄葉外務大臣とナルィシュキン・ロシア国家院(下院)議長との会談”. 外務省ホームページ (2012年6月11日). 2012年6月19日閲覧。 “
- ^ ロシア下院(国家会議)の議長 日本を訪問”. ロシアの声 (2014年6月2日). 2014年6月4日閲覧。 “
- ^ 文化イベントでロシアのナルイシキン下院議長が来日”. MSN産経ニュース (2014年6月2日). 2014年6月4日閲覧。 “
- ^ Chiefs Of Three Russian Intelligence Agencies Travel To Washington アーカイブ 2021年5月10日 - ウェイバックマシン Радио «Свобода», 1.02.2018
- ^ Сергей Горяшко, Гордон Коррера (2018年2月1日). “Директор ЦРУ раскрыл тему тайной встречи с главами российских разведок”. Русская служба Би-Би-Си. 2018年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月17日閲覧。
- ^ “Нарышкин заявил, что российского вторжения на Украину не будет”. Новости Москвы – Москва 24 – M24.RU (2021年11月27日). 2022年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月19日閲覧。
- ^ 詰問プーチン氏にたじたじ 「ロシア編入」と混同”. 時事通信 (2023年2月23日). 2023年3月11日閲覧。 “
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- ^ “Нарышкин Сергей Евгеньевич”. Государственная дума Российской Федерации. 2012年12月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月13日閲覧。
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- ^ “НАРЫШКИН Сергей Евгеньевич - биография, досье, активы”. Война и санкции. 2023年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月23日閲覧。
- ^ “PEP: Нарышкин Сергей Евгеньевич, Военно-промышленная комиссия России, член комиссии”. 2023年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月23日閲覧。
- ^ “На Тимченко, Якунина, Нарышкина наложены санкции США”. BBC News Русская служба (2014年3月20日). 2023年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月23日閲覧。
- ^ “Евросоюз расширяет санкции против окружения Путина – DW – 21.03.2014”. dw.com. 2023年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月23日閲覧。
- ^ “Russia-related Designations and Designations Updates; Issuance of Russia-related General Licenses”. U.S. Department of the Treasury. 2022年12月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月23日閲覧。
- ^ “Япония, Австралия и Новая Зеландия ввели новые санкции против России из-за боевых действий в Украине”. Новая газета (2210-03-24 エラー: 日付が有効な範囲を超えています。(説明)). 2023年8月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月16日閲覧。
- ^ “Sergei Evgenevich NARYSHKIN”. OpenSanctions. 2023年6月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月27日閲覧。
関連項目
外部リンク
公職 | ||
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先代 セルゲイ・ソビャーニン |
![]() 第12代:2008年5月12日 - 2011年12月20日 |
次代 セルゲイ・イワノフ |
先代 ボリス・グルイズロフ |
![]() 第4代:2011年12月21日 - 2016年10月5日 |
次代 ヴャチェスラフ・ヴォロージン |
先代 ミハイル・フラトコフ |
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