アレクサンドル・ボルトニコフとは? わかりやすく解説

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アレクサンドル・ボルトニコフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/07 07:27 UTC 版)

アレクサンドル・ボルトニコフ
Александр Бортников
安全保障会議にて(2019年)
生年月日 (1951-11-15) 1951年11月15日(73歳)
出生地 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 ペルミ
出身校 レニングラード鉄道運輸技術大学、KGB高級学校
前職 KGB諜報員
所属政党 ソビエト連邦共産党
(1975年 - 1991年)
→ 無所属
称号 ロシア連邦英雄
上級大将
親族 長男 : デニス
サイン
在任期間 2008年5月25日 -
大統領 ウラジーミル・プーチン
在任期間 2008年5月12日 -
大統領 ウラジーミル・プーチン
在任期間 2008年5月12日 -
大統領 ウラジーミル・プーチン
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軍歴
所属組織 KGB
FSB
軍歴 1975年 -
(KGB・FSB)
最終階級 上級大将
指揮 連邦保安庁長官
戦闘 第二次チェチェン戦争
南オセチア戦争
シリア内戦
ウクライナ侵攻
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アレクサンドル・ヴァシリエヴィチ・ボルトニコフロシア語: Алекса́ндр Васи́льевич Бо́ртников、ラテン文字表記の例:Aleksandr Vasileevich Bortnikov1951年11月15日 - )は、ロシア軍人政治家ソ連国家保安委員会(KGB)出身のシロヴィキである。2008年5月12日からロシア連邦保安庁(FSB)長官を務めている。ロシア連邦英雄の称号を持ち、最終階級は上級大将である。

概要

ボルトニコフはソ連国家保安委員会(KGB)出身のシロヴィキであり、同じくKGB出身のニコライ・パトルシェフセルゲイ・ナルイシキンと共にサンクト派(レニングラード組)を形成し、ウラジーミル・プーチン大統領を支える側近である。反体制派の野党政治家アレクセイ・ナワリヌイに対する化学兵器を用いた暗殺未遂およびロシアのウクライナ侵攻に関与した容疑で、国際社会から制裁を受けている。

経歴

生い立ち

1951年11月15日、当時モロトフと呼ばれていた都市(現在のペルミ)で生まれた。1966年ソ連共産党の青年組織コムソモールに所属した。

1973年レニングラード鉄道運輸技術大学英語版を卒業し、レニングラード州ガッチナ市の企業で専門職に従事する。

KGB・FSBでの経歴

1975年モスクワのソ連国家保安委員会(KGB)高級学校を卒業し、同年KGBレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)支部で勤務し、報道部門を担当する[1]。この時期にソ連共産党に入党し、党解散まで在籍した。

サンクトペテルブルク市およびレニングラード州のFSB次長を経て、2003年6月から同本部長。2004年2月24日から2008年5月12日までFSB副長官兼経済保安局長。なお2006年大将の階級を授与された[2]。一部の情報源によると、ボルトニコフは同年12月20日上級大将に昇格されたという。

2004年10月より、経済統合に関する政府委員会の委員に任命され、同年11月から2008年5月まで、株式会社ソヴコムフロトの取締役を務めた。2005年4月から、ロシア連邦輸出管理委員会の委員を務める。同年12月より「燃料・エネルギー複合体および鉱物資源基盤の再生に関する政府委員会」の委員を務める。

FSB長官としての経歴

ラシド・ヌルガリエフ内務大臣とボルトニコフFSB長官(2010年4月1日)

2008年5月12日、ドミートリー・メドヴェージェフ大統領によってFSB長官に任命された。安全保障政策におけるメドヴェージェフの片腕と観測されている[3]5月19日より、ロシア連邦大統領直属の腐敗対策評議会評議員および評議会幹部会委員を務め、5月22日より、独立国家共同体(CIS)諸国の治安機関・特務機関長官評議会議長に就任する。5月25日よりロシア連邦安全保障会議常任委員を務める。10月17日より、ロシア連邦大統領直属金融市場発展評議会評議員。11月1日より、ロシア連邦大統領直属情報社会発展評議会評議員および評議会幹部会委員を努める。船会社ソフコムフロート英語版社の取締役でもある。

2015年2月、ボルトニコフはアメリカ側の招待により、ロシアの省庁間代表団の長として、ワシントンで開催された暴力的な過激主義に対する対策サミットに参加した。

プーチン大統領と握手を交わすボルトニコフ上級大将(2019年4月11日)

2018年1月27日から28日にかけて、ボルトニコフは再びアメリカを訪問した。同行したのは、ロシア対外諜報庁(SVR)のセルゲイ・ナルイシキン長官とロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)長官のイーゴリ・コロボフロシア語版(この2人はアメリカの制裁リストに掲載されている)だった。彼らはワシントンで中央情報局(CIA)のマイク・ポンペオ長官と会談し、「イスラム国」に対する脅威について協議した[4]

リトビネンコ事件への関与

2007年2月に出版された雑誌『The New Timesロシア語版』では、FSBの情報源を引用し、FSBの指導部が反体制派のアレクサンドル・リトビネンコ元FSB中佐殺害計画の立案に関与し、当時FSB経済保安部長を務めていたボルトニコフが作戦の責任者に任命されたことが掲載された[5]

汚職への関与

2015年7月27日ノーヴァヤ・ガゼータ紙はボルトニコフをはじめとするFSBの幹部数名が、モスクワ郊外オディントツォフ地区での土地取引に関与していたことが明らかになった。同紙の情報によると、ルブレヴォ・ウスペンスキー高速道路沿いにある旧省庁付属幼稚園の土地4.8ヘクタールの売却により、取引の参加者全員が約250万ドルを受け取ったという。

大粛清の正当化

2017年12月、ロシア科学アカデミーの教授、通信員、アカデミー会員からなるグループは、新聞「コメルサント」に掲載された公開書簡で、ボルトニコフが「ロシア新聞」編集長ウラジーミル・フローニンロシア語版のインタビューに対し[6]全ロシア非常委員会創設100周年を記念して、ヨシフ・スターリン大粛清を正当化し、学者たちから批判を受けたと掲載された[7][8]メモリアルの科学情報教育センター評議会の副議長である歴史家ニキータ・ペトロフロシア語版は、この件について「ノーヴァヤ・ガゼータ」紙のインタビューで、ボルトニコフのインタビューが法的ニヒリズムに陥っていると指摘した[9]

制裁

2014年7月26日8月5日欧州連合(EU)とカナダはボルトニコフに対し、ドンバス戦争に関与したとして制裁を発動した[10][11]。しかしプーチンに近い35人の政府高官、議員、実業家からなるアメリカの制裁リストの中にはボルトニコフは含まれていなかった[12]

2020年10月15日、EUとイギリスは化学兵器(ノビチョク)を用いて野党政治家アレクセイ・ナワリヌイを暗殺未遂に関与したとして、ボルトニコフに対する制裁を発動した。制裁内容はEU加盟国への入国禁止、金融取引の禁止、資産凍結などである[13]。EUによると、ナワルヌイの毒殺に使用したノビチョクの使用にアクセスできるのはロシア当局のみであり、こうした状況を考慮し、EUはナワルヌイへの暗殺未遂はFSBの関与なしには起こり得なかったとの結論に達した。EUは 「FSBにおける指導的立場にあるボルトニコフが、ナワリヌイを神経毒「ノビチョク」で毒殺した者、あるいはそれに関与した者に対して、その行為を促し支援した責任があり、これは化学兵器禁止条約に違反する化学兵器の使用に該当する。」との声明を発表した[14]

ロシアのウクライナ侵攻に関して、ボルトニコフはウクライナの領土保全と独立の侵害に関与したとして、様々な国から国際制裁を受けている。

2021年から2022年にかけてのロシア・ウクライナ危機において、ロシアがドネツク人民共和国ルガンスク人民共和国の独立を承認したことを受け、アメリカはボルトニコフとその息子デニスを含む複数のロシア人および金融機関に対して制裁を発動した[15]

2022年3月3日より、日本の個人制裁対象となっており、3月18日よりニュージーランド3月21日よりカナダ4月2日よりスイス10月1日よりオーストラリアの制裁対象となっている[16]ウクライナウォロディミル・ゼレンスキー大統領大統領令のにより、2022年9月7日よりウクライナの制裁対象となっている[17]

家族

妻のタチアナは主婦である。息子のデニス(1974年11月19日生まれ)は、サンクトペテルブルク国立経済・財務大学を卒業し、2014年12月5日より、レニングラード州商工会議協会の評議員を務めている[18]

ボルトニコフの兄ミハイルは(1953年生まれ)、退役大佐であり、妹のオリガは1958年生まれで年金生活者。

人物

2009年時点でのボルトニコフの収入は470万ルーブルであり、2013年には872万ルーブル、2015年には1150万ルーブルまで上がった[19]

脚注

  1. ^ Взят под опеку «Коммерсантъ (издательский дом)|Коммерсантъ Власть» № 19 (772) от 19 мая 2008 г.
  2. ^ Высшие офицеры, участвовавшие во встрече с Президентом России по случаю их назначения на вышестоящие должности и присвоения им высших воинских (специальных) званий, 26 июля 2006 года.”. 2017年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月22日閲覧。
  3. ^ FSB Shuffle Seen Helping Medvedev The Moscow Times May 13 2008.
  4. ^ Сергей Горяшко, Гордон Коррера (2018年2月1日). “Директор ЦРУ раскрыл тему тайной встречи с главами российских разведок”. Русская служба Би-Би-Си. 2018年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月1日閲覧。
  5. ^ Барабанов Илья, Воронов Владимир (2007年2月12日). “Кто и зачем убил Литвиненко”. The New Times. 2020年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月16日閲覧。
  6. ^ Фронин В. А. (2017年12月19日). “ФСБ расставляет акценты. Александр Бортников: Разрушение России для некоторых до сих пор остается навязчивой идеей. Наша задача - не дать состояться их планам”. Российская газета — Федеральный выпуск №7454 (288). 2017年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月22日閲覧。
  7. ^ Трунина А. (2017年12月22日). “Академики РАН обвинили главу ФСБ в оправдании сталинских репрессий”. РБК. 2018年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月22日閲覧。
  8. ^ Черных А. (2017年12月22日). “«Как человек, рожденный в 1937 году, я хочу предупредить». Академики написали коллективное обращение в связи с интервью главы ФСБ”. Коммерсантъ. 2017年12月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月22日閲覧。
  9. ^ Елена Рачева. «Попытка создать красивую историю госбезопасности провалилась»] // Новая газета. — 2018. — № 1. — С. 12—13. 2018年1月14日時点におけるアーカイブ
  10. ^ ЕС включил в санкционный список Бортникова”. 2015年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月18日閲覧。
  11. ^ Канада ввела санкции в отношении 14 россиян и 13 компаний”. 2015年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月18日閲覧。
  12. ^ Санкционные списки против российских граждан и компаний”. 2018年6月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月18日閲覧。
  13. ^ ЕС и Британия ввели санкции против Кириенко и Бортникова за отравление Навального”. BBC (2020年10月15日). 2020年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月16日閲覧。
  14. ^ Council Implementing Regulation (EU) 2020/1480 of 14 October 2020 implementing Regulation (EU) 2018/1542 concerning restrictive measures against the proliferation and use of chemical weapons”. Official Journal of the European Union (2020年10月15日). 2020年10月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月16日閲覧。
  15. ^ США ввели санкции против сыновей Бортникова и Кириенко и футбольного клуба ЦСКА”. Дождь (2022年2月21日). 2022年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月27日閲覧。
  16. ^ БОРТНИКОВ Александр Васильевич”. 2022年11月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月24日閲覧。
  17. ^ УКАЗ ПРЕЗИДЕНТА УКРАЇНИ № 637/2022”. 2022年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月23日閲覧。
  18. ^ Бортников Денис Александрович - Член правления”. www.vtb.ru. 2016年11月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月25日閲覧。
  19. ^ Сведения о доходах, расходах, об имуществе и обязательствах имущественного характера :: Федеральная Служба Безопасности”. www.fsb.ru. 2016年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月25日閲覧。

外部リンク

先代
セルゲイ・スミルノフ
サンクトペテルブルク市およびレニングラード州FSB本部長
2003年 - 2004年
次代
ユーリー・イグナシチェンコフ
先代
ユーリー・ザオストロフツェフ
FSB経済保安局長
2004年 - 2008年
次代
ユーリー・ヤコヴレフ
先代
ニコライ・パトルシェフ
ロシア連邦保安庁長官
2008年 -
次代
(現職)




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