ジェイムズ・C・スコット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 06:12 UTC 版)
イェール大学教授ジェイムズ・C・スコットは、2009年に公刊した単著 The Art of Not Being Governed: An Anarchist History of Upland Southeast Asia において、ゾミアの概念を用いた。スコットはそこに生きる複数の民族の文化が継続性を持つということが、近代を巡る従来の物語への異議申し立てであると議論した。近代の物語とは、人々がいったん便利な近代テクノロジーと近代国家に触れてしまえば、いずれ同化してしまうだろうという神話である。ゾミアの部族はむしろ、近代そのものから意識して避難したのであって、もっと原始的で地域に根付いた経済の中で暮らすことを選んだ難民であると述べた。序文から引用する。 「 [Hill tribes] seen from the valley kingdoms as 'our living ancestors,' 'what we were like before we discovered wet-rice cultivation, Buddhism, and civilization' [are on the contrary] best understood as runaway, fugitive, maroon communities who have, over the course of two millennia, been fleeing the oppressions of state-making projects in the valleys — slavery, conscription, taxes, corvée labor, epidemics, and warfare. 」 「 谷あいの王国群から見れば、高地部族民は「生きているご先祖様」「水田耕作、仏教、文明を知る前の我らの姿」であった。しかし高地部族民は、谷間で行われている国家形成というプロジェクトの抑圧、つまり、奴隷化、徴兵、重税、傭役、伝染病、戦役といった抑圧から、2000年以上もの間、逃げ続けてきた避難民、マルーンコミュニティとして捉えた場合にこそ、もっともよく理解できるのである。 」 スコットは序文に続けて、ゾミアはそこに住む人々が国民国家に完全に吸収されていない、地球上で最大の地域であると述べる。しかしながら、彼らが国民国家に吸収される日はいつか来るだろうと付け加えた。ゾミアでは並外れて多様な言語が話されているが、平地で話されている言葉とは明確に区別できる。ゾミアに住む人々と平地に住む人々は、親族構造によっても、少なくとも表向きは区別できる。ゾミアの社会も「余剰」を生産する。しかしながらゾミアの社会はそれを王や僧侶をサポートするためには用いない。社会的経済的な差異(地位や持てる富の違い)が不平等であることは、ゾミアも谷間の世界と同様である。異なる点は、谷間の世界ではそれら社会的経済的な差異が持続しがちであるのに対し、ゾミアではそれらが固定的でなく、地理的に限定されていることである。
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