ジェイムズ・ウェッデル
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「最南端到達の歴史」の記事における「ジェイムズ・ウェッデル」の解説
ジェイムズ・ウェッデルはイングランド系スコットランド人の船乗りであり、イギリス海軍と商船士官を務めた後、南極海に行く最初の航海に向かった。1819年、捕鯨船用に改修された160トンのブリガンティンジェインを指揮し、サウスサンドイッチ諸島の新しく発見された捕鯨海域に向けて出発した。この航海での主たる興味は、スペインの船オーロラが1762年に南緯53度西経48度で発見したと報告していた「オーロラ諸島」を発見することにあった。この存在しない陸地は見つからなかったが、そのアザラシ漁ではかなりの利益が出た。 1822年、ウェッデルは再度ジェインを指揮し、この時は小さなボーフォアも伴って、出港した。その雇用主からは、アザラシ漁が不漁であった場合は、「前の航海士の行った所を越えて調査すること」という指示を受けて南に向かった。これはウェッデルの探検家本能にあったものであり、船にはクロノメーター(正確な時計)、温度計、コンパス、気圧計、海図を備えていた。1823年1月、ウェッデルは新しい陸地を求めて、サウスサンドイッチ諸島とサウスオークニー諸島の間の海域を探索していた。何も見つからなかったウェッデルは西経40度から南に進み、現在その名前が付けられている海に入った。その季節は異常なほど静かであり、ウェッデルは「言葉で表せるほどの氷のかけらも見られなかった」と報告した。1823年2月20日、ウェッデルは新しい最南端記録74度15分に達し、クックの記録を3度越えた。ウェッデルは陸地に近づいていることに気付かず、海が南極点まで続いているものと思い込み、その地点から北に戻った。あと2日南に向かっておればコーツランドを視界に入れた可能性があった。実際にコーツランドが発見されたのは、1902年から1904年に掛けて行われたウィリアム・スペアズ・ブルースによるスコットランド国営南極遠征の間の1904年になってからだった。ウェッデルはイングランドに戻ったときにクックの最南端記録を更新したと主張し、人々の「眉を吊り上げさせた」が、間もなく認められることになった。
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