ジェイムズ・ウェッデルとは? わかりやすく解説

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ジェイムズ・ウェッデル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 14:29 UTC 版)

最南端到達の歴史」の記事における「ジェイムズ・ウェッデル」の解説

ジェイムズ・ウェッデルはイングランド系スコットランド人船乗りであり、イギリス海軍商船士官務めた後、南極海に行く最初の航海向かった1819年捕鯨船用に改修された160トンのブリガンティンジェインを指揮しサウスサンドイッチ諸島新しく発見され捕鯨海域向けて出発した。この航海での主たる興味は、スペインの船オーロラ1762年南緯53西経48度で発見した報告していた「オーロラ諸島」を発見することにあった。この存在しない陸地は見つからなかったが、そのアザラシ漁ではかなりの利益出た1822年ウェッデル再度ジェイン指揮し、この時は小さなボーフォアも伴って出港した。その雇用主からは、アザラシ漁が不漁であった場合は、「前の航海士行った所を越えて調査すること」という指示受けて南に向かった。これはウェッデル探検家本能にあったものであり、船にはクロノメーター正確な時計)、温度計コンパス気圧計海図備えていた。1823年1月ウェッデル新し陸地求めてサウスサンドイッチ諸島サウスオークニー諸島の間の海域探索していた。何も見つからなかったウェッデル西経40度から南に進み、現在その名前が付けられている海に入った。その季節異常なほど静かであり、ウェッデルは「言葉表せるほどの氷のかけらも見られなかった」と報告した1823年2月20日ウェッデル新し最南記録7415分達しクック記録3度越えたウェッデル陸地に近づいていることに気付かず、海が南極点まで続いているものと思い込み、その地点から北に戻った。あと2日南に向かっておればコーツランド視界入れた可能性があった。実際にコーツランド発見されたのは、1902年から1904年掛けて行われたウィリアム・スペアズ・ブルースによるスコットランド国営南極遠征の間の1904年になってからだった。ウェッデルイングランド戻ったときにクック最南記録更新した主張し人々の「眉を吊り上げさせた」が、間もなく認められることになった

※この「ジェイムズ・ウェッデル」の解説は、「最南端到達の歴史」の解説の一部です。
「ジェイムズ・ウェッデル」を含む「最南端到達の歴史」の記事については、「最南端到達の歴史」の概要を参照ください。

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