第一段階 1822年6月から1823年3月
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「ニューサウスグリーンランド」の記事における「第一段階 1822年6月から1823年3月」の解説
19世紀初期南極の地理はほとんど全て知られていなかったが、時として陸地を見たという証言が記録されていた。1822年、前年にサウスサンドウィッチ諸島に航海していたベンジャミン・モレルが、南極海および南太平洋でアザラシ漁、交易、探検を行う2年間の航海のためにスクーナー「ワスプ」の指揮官に指名された。モレルはアザラシ漁という任務に加えて、「新しい発見を行う裁量権限」を持っていた。モレルはこの裁量権を使って南極海を探査し「南極点に行き着く実行可能性を確認する」ことを提案した。この航海はその後の8年間の大半でモレルを海に出たままにする4回におよぶ航海の初めのものであったが、南極を訪れたのは最初の航海のみになった。 「ワスプ」は1822年6月22日にニューヨーク港を出港して南に向かった。10月下旬にフォークランド諸島に到着し、存在しないオーロラ諸島を探して無益に16日間を使った後、サウスジョージア島に向かい、11月20日に停泊した。モレルの証言に拠れば、サウスジョージア島の海岸線から南西に約60マイル (97 km) の外海に停泊したと記録しており、それは間違いだった。「ワスプ」はその後アザラシ漁のために東に向かい、モレルに拠れば、12月6日には遠隔のブーベ島に到着しており、この孤島を特に問題もなく見つけていた。歴史家のH・R・ミルは、モレルのこの島の物理的外観に関する記述には、この島の最もはっきりと1つしかないもの、すなわち永久氷の層で覆われているということが書かれていないと述べている。モレルはその後船を南に進めようとしたが、南緯60度付近で厚い氷に当たったので北東のケルゲレン諸島に向かい、12月31日にそこで停泊した。 「ワスプ」は数日間の探検と、利益になるアザラシ漁を行った後、1823年1月11日にケルゲレン諸島を発ち、南と東に向かって、2月1日には最東端となる南緯64度52分東経118度27分を記録した。この地点から、モレル自身の証言に拠れば、強い東寄りの風を利用することに決め、西のグリニッジ子午線まで急速に戻ることができた。その証言は詳細が不足しているが、3,500マイル (5,600 km) 以上の距離を23日で移動したことになった。このように速く氷の浮かぶ海上を直接動いたという主張の信ぴょう性については広く論議の対象になった。特にこの航海の間にモレルが挙げている南寄りの緯度は、当時はまだ発見されていなかった南極大陸の内陸に少なくとも100マイル (160 km) も入り込んでいることが分かった。2月28日、「ワスプ」はサウスサンドウィッチ諸島のキャンドルマス島に到着した。船のストーブに使う燃料を求めて数日間を費やした後、「ワスプ」は3月6日に南に向かって出発し、後にウェッデル海と呼ばれることになる海に入った。この海にはほとんど氷が無かったので、モレルは南緯70度14分まで進み、3月14日には北西方向に転じた。この後退は船に燃料が無かったためだとモレルは言っており、そうでなければ、この開けた海で南緯85度まで、おそらくは南極点そのものにも船を進めることができただろうと主張していた。このような言葉は1か月前にイギリス人探検家ジェイムズ・ウェッデルが同じ地域で経験したことを叙述している言葉と大変似ており、モレルがウェッデルの経験談を盗用したのではないかと歴史家達に疑わせることになった。
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