シーテッド・リバティとは? わかりやすく解説

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シーテッド・リバティ(1837年 - 1891年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 00:29 UTC 版)

10セント硬貨 (アメリカ合衆国)」の記事における「シーテッド・リバティ(1837年 - 1891年)」の解説

19世紀末期にかけ、クリスチャン・ゴブレヒトによるシーテッド・リバティ・ダイム (Seated Liberty dime) の表側のデザインは、当時アメリカ合衆国内流通する全ての硬貨描かれていた。造幣局のロバート・マスケル・パターソンは、イギリス硬貨にも見られブリタニア思い起こさせるような、新し硬貨デザイン依頼していた。そこで硬貨主任彫刻家であったウィリアム・ニースが原案となるスケッチ描いたが、描写苦心し硬貨金型準備するにはやや難しくなった。そこで当時第2彫刻家地位就いたゴブレヒトへ、この仕事課されのである表側のデザインは、ドレスに身を包み持った女神が、岩に座っている絵である。彼女の右手には、「LIBERTY」の刻印がある盾が置かれている。裏側には花冠囲まれた「ONE DIME」の刻印描かれている。全てのシーテッド・リバティ・ダイムは、90%の銀と10%含んでおり、直径は17.9mm (0.705 in) である。この大きさと金属の構成は、流通するダイム硬貨から銀が取り除かれる1965年まで続いた。 このダイムには種類幾つかある。初期1837年)の表側のデザインには、星が描かれていなかった。13植民地を表す13個の星が表側周囲加えられたのは1838年のことである。1860年代中頃に、これら星の絵は元々裏側にあったUnited States of America」の銘に置き換えられた。同時に裏側花冠トウモロコシ小麦カエデオークでできた花冠へと変更され、縁の近くまで拡げて描かれるようになった。この裏側のデザインは、製造が終わる1891年まで続けて使用され1892年にバーバー・ダイムが登場して少し変更加えられた。またもう一つ1838年 - 1840年ダイムは、女神の左ひじの下に垂れ下がっているはずの掛け布が無い状態で製造され種類がある。 製造年表示両端矢印ついている1853年1873年ダイムは、硬貨重量変更があったことを示している。1853年硬貨は2.67gから2.49gへ、そして1873年にはそこから2.5gへと変更された。最初変更は銀の価格高騰受けて行われたものだが、一方後者1873年造幣法によってもたらされたものである。この法律では、アメリカ合衆国の通貨世界通用するものにする試みで、当時フランスの5フラン硬貨重量比を一定にするため、10セント硬貨25セント硬貨50セント硬貨少量質量加えることが盛り込まれていた。

※この「シーテッド・リバティ(1837年 - 1891年)」の解説は、「10セント硬貨 (アメリカ合衆国)」の解説の一部です。
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