シネシティ文化の開館
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「シネシティ文化」の記事における「シネシティ文化の開館」の解説
画像提供依頼:営業中のシネシティ文化の画像提供をお願いします。(2018年8月) シネシティ文化 鹿児島中央駅 鹿児島駅 鹿児島市における所在地 鹿児島市中心部における所在地 1988年(昭和63年)7月23日、有楽興行によって天文館の千日町にシネシティ文化が開館した。約10億円で地上7階・地下1階建ての建物が建設されているが、有楽興行はこの建物を「九州初の複合映画ビル(シネマコンプレックス)」であるとしている。シネマコンプレックス(シネコン)に明確な定義はなく、「九州初のシネコン」は1996年(平成8年)に佐賀県三養基郡上峰町に開館したワーナー・マイカル・シネマズ上峰(2010年2月28日閉館)であるとすることが多い。 開館時に4館を有していたシネシティ文化は、洋画を中心とするロードショー館という性格を持っていた。鹿児島県の地方都市ではレンタルビデオ店のブームで映画館の閉館が相次いでおり、1990年(平成2年)時点で鹿児島県にある映画館は鹿児島市を除けば鹿屋市の鹿屋テアトル文化、大口市の大口喜楽館、西之表市の西ノ表文化劇場の3館にまで減っていたが、シネシティ文化は「ビデオに負けぬと劇場」と宣伝した。 1990年(平成2年)6月、シネシティ文化は4スクリーンから5スクリーンに増やした。1992年(平成4年)2月に鹿屋市の鹿屋テアトル文化が閉館すると、2000年(平成12年)8月に奄美市のシネマパニックが開館するまでの約8年間は、鹿児島県で映画館があるのは鹿児島市のみであった。有楽興行は1993年(平成5年)2月5日に文化プラザ80・文化プラザ120を閉館させ、鹿児島市における映画興行をシネシティ文化に一本化させた。 1999年(平成11年)時点の鹿児島市には5施設12スクリーンがあり、内訳はシネシティ文化が5スクリーン、鹿児島東宝が3スクリーン、松竹高島が2スクリーン、鹿児島東映と西駅旭シネマがそれぞれ1スクリーンだった。2000年(平成12年)時点の鹿児島県の映画館数12館は九州・沖縄8県でもっとも少なく、125館を有する福岡県の1/10以下だった。シネシティ文化のスクリーン数は2003年(平成15年)12月には6スクリーンとなった。座席は指定席ではなく自由席であり、飲食物の持ち込みも自由だった。 2005年(平成17年)9月には鹿児島県種子島を舞台とする『ライフ・オン・ザ・ロングボード』を上映し、9月3日には主演の大杉漣などによる舞台挨拶が行われた。2006年(平成18年)4月には『るにん』を上映し、4月1日には奥田瑛二監督による舞台挨拶が行われた。同年5月には『ドッグ・ラバーズ・シンフォニー』を上映し、5月13日には鹿児島市出身の福田哲也監督による舞台挨拶が行われた。
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