シネシティ文化の開館とは? わかりやすく解説

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シネシティ文化の開館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 16:05 UTC 版)

シネシティ文化」の記事における「シネシティ文化の開館」の解説

画像提供依頼営業中のシネシティ文化画像提供をお願いします。(2018年8月シネシティ文化 鹿児島中央駅 鹿児島駅 鹿児島市における所在地 鹿児島市中心部における所在地 1988年昭和63年7月23日有楽興行によって天文館千日町シネシティ文化開館した。約10億円地上7階・地下1階建ての建物建設されているが、有楽興行はこの建物を「九州初の複合映画ビルシネマコンプレックス)」であるとしている。シネマコンプレックスシネコン)に明確な定義はなく、「九州初のシネコン」は1996年平成8年)に佐賀県三養基郡上峰町開館したワーナー・マイカル・シネマズ上峰2010年2月28日閉館)であるとすることが多い。 開館時に4館を有していたシネシティ文化は、洋画中心とするロードショー館という性格持っていた。鹿児島県地方都市ではレンタルビデオ店ブーム映画館閉館相次いでおり、1990年平成2年時点鹿児島県にある映画館鹿児島市除けば鹿屋市鹿屋テアトル文化大口市大口喜楽館西之表市の西ノ表文劇場の3館にまで減っていたが、シネシティ文化は「ビデオ負けぬ劇場」と宣伝した1990年平成2年6月シネシティ文化は4スクリーンから5スクリーン増やした1992年平成4年2月鹿屋市鹿屋テアトル文化閉館すると、2000年平成12年8月奄美市のシネマパニックが開館するまでの約8年間は、鹿児島県映画館があるのは鹿児島市のみであった有楽興行1993年平成5年2月5日文化プラザ80文化プラザ120閉館させ、鹿児島市における映画興行シネシティ文化一本化させた。 1999年平成11年時点鹿児島市には5施設12スクリーンがあり、内訳シネシティ文化が5スクリーン鹿児島東宝が3スクリーン松竹高島が2スクリーン鹿児島東映西駅シネマそれぞれ1スクリーンだった。2000年平成12年時点鹿児島県映画館12館は九州・沖縄8県でもっとも少なく125館を有する福岡県の1/10以下だった。シネシティ文化スクリーン数は2003年平成15年12月には6スクリーンとなった座席指定席ではなく自由席であり、飲食物持ち込み自由だった2005年平成17年9月には鹿児島県種子島舞台とする『ライフ・オン・ザ・ロングボード』を上映し9月3日には主演大杉漣などによる舞台挨拶が行われた。2006年平成18年4月には『るにん』を上映し4月1日には奥田瑛二監督による舞台挨拶が行われた。同年5月には『ドッグ・ラバーズ・シンフォニー』を上映し5月13日には鹿児島市出身福田哲也監督による舞台挨拶が行われた。

※この「シネシティ文化の開館」の解説は、「シネシティ文化」の解説の一部です。
「シネシティ文化の開館」を含む「シネシティ文化」の記事については、「シネシティ文化」の概要を参照ください。

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