シドニー・ブレナーとは? わかりやすく解説

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シドニー・ブレナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/02 13:47 UTC 版)

シドニー・ブレナー
Sydney Brenner
シドニー・ブレナー(2008)
生誕 Sydney Brenner
(1927-01-13) 1927年1月13日
南アフリカ連邦トランスヴァール州(現 南アフリカ共和国ハウテン州
死没 2019年4月5日(2019-04-05)(92歳)
シンガポール
居住 南アフリカ共和国
イギリス
アメリカ合衆国
国籍 南アフリカ共和国
イギリス
研究分野 生物学
研究機関 ケンブリッジ大学
カリフォルニア大学バークレー校
ソーク研究所
MRC分子生物学研究所
出身校 オックスフォード大学
論文 The physical chemistry of cell processes: a study of bacteriophage resistance in Escherichia coli, strain B (1954)
博士課程
指導教員
シリル・ヒンシェルウッド
主な業績 伝令RNA
主な受賞歴 アルバート・ラスカー基礎医学研究賞(1971)
ロイヤル・メダル(1974)
ガードナー国際賞(1978)
コプリ・メダル(1991)
ノーベル生理学・医学賞(2002)
旭日大綬章(2017)
プロジェクト:人物伝
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ノーベル賞受賞者
受賞年:2002年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:器官発生と、プログラムされた細胞死の遺伝制御に関する発見

シドニー・ブレナー (Sydney Brenner, 1927年1月13日 - 2019年4月5日[1][2])は南アフリカ連邦生まれの生物学者線虫を用いたアポトーシス研究により、ロバート・ホロビッツジョン・サルストンとともに2002年ノーベル生理学・医学賞を受賞した。

来歴

生い立ち

南アフリカ連邦トランスヴァール州(現在では南アフリカ共和国ハウテン州ジャーミンストン英語版で、ロシア帝国リトアニアからのユダヤ人移民の子として生まれた。1942年ヨハネスブルグウィットウォータースランド大学英語版に入学し医学を学び、1951年に卒業、医師として勤務した後は渡英し、1954年エクセター・カレッジM.D.を取得した。指導教授はシリル・ヒンシェルウッドであった。1956年ケンブリッジMRC分子生物学研究所に移籍し、1996年から2000年まで、アメリカカリフォルニア州ラホヤソーク研究所およびバークレーに自身が設立した分子科学研究所の所長および科学ディレクターとして研究を行った。

生物学者

1960年代に登場した分子生物学の分野において、フランシス・クリックジェームズ・ワトソンらとともに、翻訳における遺伝子暗号の解読やメッセンジャーRNAの概念の提唱をはじめとした独創的な貢献をした。

その後、MRC分子生物学研究所にて線虫 C. elegansモデル生物として用いた動物発生研究を樹立し、神経系形成などを解明した。C. elegans は 体長 1 mm 程の小さな土壌動物で、透明な体に単純ながら一通りの多細胞体制をもち、発生生物学研究に適した生物であった。また飼育が容易であり、生活環が短く、遺伝学用いた研究手法も行いやすい。ブレナーはこの生物を用いてゲノムプロジェクトを立ち上げ、多細胞生物におけるゲノミクスの先駆けとなった。その後、トラフグゲノム解読も手がけた。

ブレナーは分子科学研究所を設立し、ソーク研究所とジャナリアファーム(HHMI)に所属していた。1965年王立協会フェロー選出。

2005年の発足から2011年まで独立行政法人沖縄科学技術研究基盤整備機構の理事長として沖縄科学技術大学院大学の創設に関わり[3]2017年4月29日付の春の叙勲で、「日本の科学技術研究教育の発展に寄与した」として旭日大綬章を受章した[4]

2019年4月5日、自宅のあるシンガポールで死去。92歳没。

顕彰

シドニー・ブレナーの顕彰像(沖縄県国頭郡恩納村

沖縄科学技術研究基盤機構で理事長を務めたことから、没後に沖縄県と沖縄科学技術大学院大学促進県民会議により顕彰像が制作された[5]沖縄県国頭郡恩納村に建立され[5]、2020年11月26日に除幕式が行われた[5]。沖縄県副知事の謝花喜一郎は、これまでの功績について「かつて、ここに世界最高水準の大学院大学をつくる、という壮大な構想に挑み、実現されました。博士がこれまでに成した偉業に対し、145万人の沖縄県民を代表して、心から敬意と感謝を捧げ、顕彰申し上げます」[5]と述べている。また、沖縄県知事玉城デニーによる顕彰状も贈られており[6]、これまでの功績について称えている。

主な受賞歴

出典

  1. ^ Sim Shuzhen (2019年4月5日). “Sydney Brenner, ‘father of the worm’ and decoder of DNA, dies at 92” (英語). Asian Scientist Magazine. Wildtype Media Group. 2019年4月5日閲覧。
  2. ^ 大久保知美 (2019年4月5日). “訃報:沖縄科学技術研究基盤整備機構初代理事長 シドニー・ブレナー博士”. 沖縄科学技術大学院大学. 2019年4月5日閲覧。
  3. ^ 沖縄科学技術研究基盤整備機構初代理事長 シドニー・ブレナー博士 旭日大綬章を受章”. 沖縄科学技術大学院大学 (2017年8月22日). 2019年4月5日閲覧。
  4. ^ 読売新聞 2017年4月29日 13面
  5. ^ a b c d 中尾享二「故シドニー・ブレナー博士の功績を称えて――沖縄県からブレナー博士の顕彰像が贈呈され、OISTで顕彰像の除幕式を開催」『故シドニー・ブレナー博士の功績を称えて | 沖縄科学技術大学院大学(OIST)沖縄科学技術大学院大学、2020年11月27日。
  6. ^ 「ブレナー博士の功績を称える顕彰状」『ブレナー博士の功績を称える顕彰状 | 沖縄科学技術大学院大学(OIST)沖縄科学技術大学院大学、2020年11月27日。

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