遺伝コードの解読
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 20:33 UTC 版)
DNAの構造がジェームズ・ワトソン、フランシス・クリック、モーリス・ウィルキンス、ロザリンド・フランクリンらによって解明されたあと、タンパク質が生体内でどのようにコードされているかということの解明に向けて真剣な努力が払われた。ジョージ・ガモフは、生体の細胞内でタンパク質をコードするのに用いられている20ほどの異なるアミノ酸を指定するのに3文字の暗号が用いられていると仮定した(なぜなら4nが少なくとも20以上であるようなnは3が最小だから)。コドンがまさにDNAの3塩基に対応しているという事実を最初に示したのはクリックとシドニー・ブレナーらの実験である 。はじめて一つのコドンを明らかにしたのは1961年、アメリカ国立衛生研究所のマーシャル・ニーレンバーグとハインリッヒ・マッタイであった 。彼らは無細胞系でポリウラシルRNA配列(これは生化学的記号でUUUUU....と表される)を翻訳した。合成できたポリペプチドはフェニルアラニンのみからなるものであることを発見した。このことから、コドンUUUがアミノ酸フェニルアラニンを指定すると推定した。ニーレンバーグと共同研究者らはこの研究を推し進めていって、個々のコドンのヌクレオチド組成を決定することができた。配列の順序を決定するのに3ヌクレオチドがリボソームに固定され、アミノアシルtRNAを放射線標識して、どのアミノ酸がコドンに対応するかを決定した。ニーレンバーググループは64コドン中54の配列を決定できた。続いてハー・ゴビンド・コラナが残りのコドンを決定することができた。その後程なくロバート・W・ホリー が翻訳の際のアダプター分子であるtRNAの構造を明らかにした。この研究は、1959年にRNA合成の酵素学に関する研究によってノーベル賞を受賞したセベロ・オチョアの初期の研究に基づいていた。1968年にコラナ、ホリー、ニーレンバーグらも生理学あるいは医学ノーベル賞を受賞した。
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