ザ・テンプテーションズとは? わかりやすく解説

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テンプテーションズ

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/08 16:35 UTC 版)

テンプテーションズ
The Temptations
テンプテーションズ(1964年)
基本情報
別名 The Elgins、The Pirates
出身地 アメリカ合衆国 ミシガン州デトロイト
ジャンル R&Bソウルファンク、プログレッシブ・ソウル、サイケデリック・ソウル
活動期間 1961年 -
レーベル モータウン、Gordy、Miracle、Warwick、UARキャピトルアトランティック、New Door
公式サイト www.temptationsofficial.com
メンバー オーティス・ウィリアムズ
ロン・タイソン
テリー・ウィークス
トニー・グラント
ジャワン・M・ジャクソン
旧メンバー メルヴィン・フランクリン
エディ・ケンドリックス
ポール・ウィリアムズ
エルブリッジ・"アル"・ブライアント
デヴィッド・ラフィン
デニス・エドワーズ
リッキー・オーウェンズ
リチャード・ストリート
デイモン・ハリス
グレン・レナード
ルイス・プライス
アリ・オリー・ウッドソン
セオ・ピープルズ
レイ・デイヴィス
ハリー・マクギルベリー
バリントン・"ボー"・ヘンダーソン
G・C・キャメロン
ジョー・ハーンドン
ブルース・ウィリアムソン
ラリー・ブラッグス
ウィリー・グリーン
マリオ・コルビーノ

テンプテーションズThe Temptations)は、アメリカのソウル・コーラス・グループである。1960年代に「マイ・ガール[1]等のヒット曲を出した、モータウンを代表するグループの一つ。1989年ロックの殿堂入りを果たした。

テンプテーションズは、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第68位にランクインしている。リード・ヴォーカルのデヴィッド・ラフィンは、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第65位にランクインしている。

略歴

結成当初、グループはキャバリアーズやプライムズを名乗っている。プライムズ当時でも、地元デトロイトでは、その綿密なパフォーマンスが評判になっていた[2]1961年モータウンからデビュー。当時のメンバーはオーティス・ウィリアムス(Otis Williams)、メルヴィン・フランクリン(Melvin Franklin)、エディ・ケンドリックスEddie Kendricks)、ポール・ウィリアムズ英語版Paul Williams)、エルブリッジ・ブライアント(Elbridge Bryant)の5人。しばらくはヒットに恵まれなかった。1964年、エルブリッジの後任としてデヴィッド・ラフィンDavid Ruffin)が加入、いわゆる黄金時代となる。スモーキー・ロビンソンとロナルド・ホワイト(Ronald White)が作り、デヴィッドがリード・ヴォーカルを担当して同年リリースした「マイ・ガール[1]等が、翌1965年に全米チャート1位に輝いた。その後も「ゲット・レディ」「ドント・ルック・バック」などのヒット曲を量産した。 1968年にデヴィッドが脱退し、デニス・エドワーズ(Dennis Edwards)が加入。アルバム『クラウド・ナイン(Cloud Nine)』(1969年)は、サイケ色を取り入れたサウンドと、社会派の歌詞を含む楽曲となった。1971年には「はかない想い」が全米1位となる。 デビュー当時からのメンバーだったエディとポールが脱退するが、デーモン・ハリス(Damon Harris)とリチャード・ストリート(Richard Street)を加えた新体制で、1972年に「パパ・ワズ・ア・ローリン・ストーン(Papa Was a Rollin' Stone)」を全米1位に送り込む。なお、ポール・ウィリアムズは1973年に自殺してしまう。1970年代後半にアトランティックに移籍するが、1980年代にはモータウンに戻る。 1983年、デニス・エドワーズの後任としてアリ・オリー・ウッドソン(Ali Ollie Woodson、1951年9月12日- 2010年5月30日)がリード・シンガーに抜擢される。1984年発表のアルバム『トゥルーリー・フォー・ユー』から正式に参加し、ここに収録された「トリート・ハー・ライク・ア・レディー」を、共同作曲、共同プロデュースし、一躍注目される。1986年には、「レディー・ソウル」をソウル・チャートでヒットさせた。 1990年代には、デヴィッド・ラフィン、エディ・ケンドリックスが死去した。 その後もメンバー・チェンジを繰り返し、1995年には、デビュー当時からのメンバーはオーティスだけとなってしまうが、21世紀もテンプテーションズの名前は引き継がれている。 2013年第55回グラミー賞特別功労賞生涯業績賞を受けた。 2018年2月1日、デニス・エドワーズが死去[3]

ベリー・ゴーディは自身の曲は全て白人、黒人共に等しく魅了することができると主張し、ゴーディが望む双方での成功を達成するためモータウンのアーティストを育てるのを助ける大規模な制作チームを雇った。モータウンの振付師チョリー・アトキンスは、ポール・ウィリアムズと共に、テンプテーションズがステージで披露する洗練されたダンス・ステップを考案した。最も有名な「テンプテーション・ウォーク」または「テンプテーション・ストラト」はフラミンゴス[注釈 1]やヴァイブレーションズの類似したステップから採用され、アトキンスやウィリアムズが特徴的なステップを完成させた。

当時の他の類似したグループと同様、モータウンはアメリカレコード協会(RIAA)に加盟しておらず、独立して数千ものレコード店「マム&ポップ」や小さなラジオ局を通じて広く供給されていた。「1977年にモータウンがRIAAに加盟」するまで、テンプテーションズなどのモータウンのアーティストによるヒット・シングルはゴールドディスクおよびプラチナディスクに認定されなかった。

1960年代および1970年代、トランプス、トラベラーズ、マンハッタンズ、シャイライツ、パーラメンツドラマティックス、デルズ、スピナーズ、ソフトンズ、デルフォニックス、モータウン所属のミラクルズ、フォー・トップス、モニターズ、グラディス・ナイト&ピップス、オリジナルズ、アンディスピューテッド・トゥルースなど数多くのソウル・グループがテンプテーションズから歌唱法、振付などで多大な影響を受けた。

テンプテーションズの楽曲は、リズム・アンド・ブルース歌手のオーティス・レディング("My Girl")、ボビー・ウーマック("I Wish It Would Rain")、ルーサー・ヴァンドロス("Since I Lost My Baby")から白人ソウル・レゲエ・バンドのレア・アース("Get Ready")、UB40("The Way You Do and The Things You Do")、ローリング・ストーンズ("My Girl", "Ain't Too Proud to Beg", "Just My Imagination")、ミック・ジャガーとレゲエ・アーティストのピーター・トッシュとのコラボ("Don't Look Back")まで、多くのミュージシャンからカバーされている。モータウンのファンク・ブラザーズは「"My Girl"」、「"Runnaway Child Running Wild"」、「"Papa Was a Rolling Stone"」をレコーディングした。ホール&オーツはデヴィッド・ラフィンおよびエディ・ケンドリックスとのライヴで「"My Girl"」、「"The Way You Do The Things You Do"」を演奏した。マーカス・ミラーは「"Papa Was a Rolling Stone"」をカバーした。イギリスのロック歌手ロッド・スチュワートは1971年に「"I'm Losing You"」をカバーし、1991年にシングル「"The Motown Song"」でテンプテーションズとコラボした。2017年、テンプテーションズとオーティス・ウィリアムズの当時の弟子とされたカイル・マックはマックのEP『Shaky Ground』に「"Treat Her Like a Lady"」のカバーを収録した他、2曲のテンプテーションズのカバーが収録された[4]

2004年、『ローリング・ストーン』誌は最高のアーティスト100組の67位にテンプテーションズをランクインさせた[5]。2005年、ミシガン州のロックンロール殿堂に投票により殿堂入りした[6]。2013年、グラミー賞特別功労賞を受賞した。2013年8月17日、テンプテーションズはクリーヴランド州立大学卒業式でR&B音楽の殿堂に殿堂入りした[7]

2018年、テンプテーションズのストーリーに着想を得たジュークボックス・ミュージカルエイント・トゥ・プラウド』が制作され、2019年3月にブロードウェイで開幕した。第73回トニー賞において11部門にノミネートされ、振付賞を受賞した。

ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム

  • 『ミート・ザ・テンプテーションズ』 - Meet the Temptations (1964年)
  • 『シング・スモーキー』 - The Temptations Sing Smokey (1965年)
  • 『テンプティン・テンプテーションズ』 - The Temptin' Temptations (1965年)
  • 『ゲッティン・レディ』 - Gettin' Ready (1966年)
  • 『ウィズ・ア・ロット・オブ・ソウル』 - The Temptations with a Lot o' Soul (1967年)
  • 『イン・ア・メロウ・ムード』 - The Temptations in a Mellow Mood (1967年)
  • 『雨に願いを』 - The Temptations Wish It Would Rain (1968年)
  • 『ダイアナ・ロス&シュープリームスとテンプテーションズ』 - Diana Ross & the Supremes Join the Temptations (1968年) ※with ダイアナ・ロス&ザ・シュープリームス
  • 『クラウド・ナイン』 - Cloud Nine (1969年)
  • 『トゥゲザー』 - Together (1969年) ※with ダイアナ・ロス&ザ・シュープリームス
  • 『パズル・ピープル』 - Puzzle People (1969年)
  • 『サイケデリック・シャック』 - Psychedelic Shack (1970年)
  • 『クリスマス・カード』 - The Temptations Christmas Card (1970年)
  • 『スカイズ・ザ・リミット』 - Sky's the Limit (1971年)
  • 『ソリッド・ロック』 - Solid Rock (1972年)
  • 『オール・ディレクションズ』 - All Directions (1972年)
  • 『マスターピース』 - Masterpiece (1973年)
  • 『1990』 - 1990 (1973年)
  • 『ア・ソング・フォー・ユー』 - A Song for You (1975年)
  • 『ハウス・パーティー』 - House Party (1975年)
  • 『ウィングス・オブ・ラブ』 - Wings of Love (1976年)
  • 『テンプテーションズ・ドゥ・ザ・テンプテーションズ』 - The Temptations Do The Temptations (1976年)
  • 『ヒア・トゥ・テンプト・ユー』 - Hear to Tempt You (1977年)
  • 『ベア・バック』 - Bare Back (1978年)
  • 『パワー』 - Power (1980年)
  • 『ザ・テンプテーションズ』 - The Temptations (1981年)
  • 『リユニオン』 - Reunion (1982年)
  • 『サーフィス・スリル』 - Surface Thrills (1983年)
  • 『バック・トゥ・ベーシックス』 - Back to Basics (1983年)
  • 『トゥルーリー・フォー・ユー』 - Truly for You (1984年)
  • 『タッチ・ミー』 - Touch Me (1985年)
  • 『トゥ・ビー・コンティニュード』 - To Be Continued (1986年)
  • 『トゥゲザー・アゲイン』 - Together Again (1987年)
  • 『スペシャル』 - Special (1989年)
  • 『マイルストーン』 - Milestone (1991年)
  • 『フォー・ラヴァーズ・オンリー』 - For Lovers Only (1995年)
  • 『フェニックス・ライジング』 - Phoenix Rising (1998年)
  • 『イアー・レジスティブル』 - Ear-Resistible (2000年)
  • Awesome (2001年)
  • Legacy (2004年)
  • Reflections (2006年)
  • バック・トゥ・フロント』 - Back to Front (2007年)
  • Still Here (2010年)
  • All the Time (2018年)
  • Temptations 60 (2022年)

主なシングル

カバー

他者によるカバー曲

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ 「アイ・オンリー・ハブ・アイズ・フォー・ユー」で有名なドゥーワップ・グループ

出典

  1. ^ a b http://www.songfacts.com/detail.php?id=1225
  2. ^ Williams and Romanowski (1988), pp. 26–30.
  3. ^ “Dennis Edwards, Former Temptations Lead Singer, Dies at 74”. ニューヨーク・タイムズ. (2018年2月2日). https://www.nytimes.com/2018/02/02/obituaries/dennis-edwards-former-temptations-lead-singer-dies-at-74.html 2018年2月3日閲覧。  {{cite news}}: |work=|newspaper=引数が重複しています。 (説明)
  4. ^ Roberts, Kimberly C.. “Sky's the limit for soul singer Kyle Maack” (英語). The Philadelphia Tribune. 2020年3月4日閲覧。
  5. ^ “The Immortals: The First Fifty”. Rolling Stone (946). オリジナルのMarch 16, 2006時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20060316103016/http://www.rollingstone.com/news/story/5939214/the_immortals_the_first_fifty/ 2007年2月5日閲覧。. 
  6. ^ Michigan Rock and Roll Legends - TEMPTATIONS”. www.michiganrockandrolllegends.com. 2019年1月12日閲覧。
  7. ^ Inductees”. www.rbhof.com. 2021年10月30日閲覧。
  8. ^ ドント・ルック・バック 2023年3月3日閲覧

外部リンク


ザ・テンプテーションズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/15 00:17 UTC 版)

ノーマン・ホィットフィールド」の記事における「ザ・テンプテーションズ」の解説

1966年から1974年までテンプテーションズすべての作品制作SE[要曖昧さ回避]などの実験繰り広げたモータウン初のヒット曲ビートルズカバーしたMoney (That's What I Want』を歌っていたバレット・ストロングパートナーとし、テンプテーションズマーヴィン・ゲイ、グラディス・ナイト・アンド・ザ・ピップスなどに曲を書いたマーヴィングラディスは『悲しいうわさ』を別々にヒットさせた。グラディスヴァージョン1968年)はモータウン史上最大ヒットだったが、一年後マーヴィンヴァージョンはそれを越えた1968年テンプテーションズのリード・シンガーがデヴィッド・ラフィンからデニス・エドワーズに代わると、グループサウンドをより激しく暗いものにした。それはスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンファンカデリックサウンド取り込んだサイケデリック・ロックファンク融合であった。 彼はまた歌の主題変えたラブソングから当時の社会問題戦争貧困政治)へ。テンプテーションズ新しサイケデリック・ソウル初めにあらわれたのは1968年後半の曲『クラウド・ナイン』だった。それはモータウンにとって最初グラミー受賞曲となり、「デュオまたはグループヴォーカルによるベストR&Bパフォーマンス」を獲得した。 彼とテンプテーションズにとって二度目グラミー受賞曲は1973年シングルPapa Was a Rollin' Stone』だった。このシングルB面インストゥルメンタル曲によりホィットフィールドは、アレンジャーポール・ライザーとともにベストR&Bインストゥルメンタル・パフォーマンス賞」を獲得しバレット・ストロングとともにBest R&B Song賞を獲得した

※この「ザ・テンプテーションズ」の解説は、「ノーマン・ホィットフィールド」の解説の一部です。
「ザ・テンプテーションズ」を含む「ノーマン・ホィットフィールド」の記事については、「ノーマン・ホィットフィールド」の概要を参照ください。

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