サウンド・オン・フィルム方式(フォノフィルム)
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「リー・ド・フォレスト」の記事における「サウンド・オン・フィルム方式(フォノフィルム)」の解説
1919年、サウンド・オン・フィルム方式のトーキーの特許を出願。これはフィンランドの発明家 Eric Tigerstedt の方式を改良したもので、フォノフィルムと名付けた。フォノフィルムはフィルムの端に明暗のある線で音を記録するもので、可変密度方式と呼ばれるものであり、その後主流となった可変領域方式とは異なる。マイクロフォンで電気信号に変換された音声信号を写真のようにフィルムに焼き付けるものであり、映画の映写時にその線から音を再生する。撮影時に同時に記録すれば音と映像の同期が容易であり、演劇、演説、ミュージカルなどの記録に使われた。1922年11月、ニューヨークに De Forest Phonofilm Company を創業したが、ハリウッドの映画スタジオからは無視された。 18本の短編映画をフォノフィルム方式で製作し、1923年4月15日にニューヨークのリボリ劇場で上映した。映画館はハリウッドの制御下にあったため、個別の劇場でしか上映できなかった。内容は短いボードヴィル劇であり、ハリウッドのスタジオにはほとんどアピールできなかった。1924年にはフライシャー・スタジオがフォノフィルムを使ったアニメーション映画ソング・カー・テューンシリーズを製作、全38作品内19作品にこの方式が使われ、1924年公開の『おお、メイベル』で映像と音が一致し、1926年公開の『なつかしいケンタッキーの我が家』で音とセリフが完全にシンクロした。Freeman Harrison Owens と Theodore Case と共にフォノフィルムを改良していった。しかし、後に2人ともド・フォレストと仲違いし、Owens とは訴訟に発展している。フォックス・フィルムのウィリアム・フォックスにフォノフィルムを売り込もうとしたが、仲違いした Case がフォックスに移籍して開発したムービートーンというシステムが完成しつつあった。1926年9月に Phonofilm Company は倒産。その少し前にワーナー・ブラザースのヴァイタフォン(サウンド・オン・ディスク方式)の長編映画『ドン・ファン』が公開された。 1927年以降ハリウッドではサウンド・オン・フィルム方式(フォックスのムービートーンとRCAのRCAフォトフォン(英語版))が使われ始めた。一方で映画館チェーンのオーナー M. B. Schlesinger がイギリスでのフォノフィルムの使用権を取得し、1926年9月から1929年5月までイギリス各地のミュージックホールでフォノフィルム方式の短編映画を上映した。フォノフィルム方式で製作された短編映画は200本以上あり、その多くはアメリカ議会図書館および英国映画協会が収蔵している。
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