コロンビア傘下での成功
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「ユナイテッド・プロダクションズ・オブ・アメリカ」の記事における「コロンビア傘下での成功」の解説
UPAはスタジオを維持するために競争相手に満ちた劇場用アニメーション映画の分野に乗り出し、コロンビア映画との契約を結んだ。当時のコロンビアはアニメーション短編映画の分野における敗北者であり、傘下にあるスクリーン・ジェムズ・カートゥーンスタジオの作品に失望させられていた。UPAのアニメーター達は短編『Robin Hoodlum』(1948年)と『Tha Magic Fluke』(1949年)で、その様式化という手法をコロンビアのキャラクターであるフォックス・アンド・クロウに適用した。この2作の監督はハブリーが手掛けた。この両作品はアカデミー賞にノミネートされ、コロンビアはUPAに新キャラクターの創造を許可した。UPAはこれを受けて動物キャラクターではなく、頑固で近視の老人という人間キャラクターを生み出した。近眼のマグーの初登場作品である『The Ragtime Bear』(1949年)は大ヒットし、1950年代に入るとUPAの守護星は俄然輝きを増し始めた。 喋るネズミやウサギやクマがひしめきあう中にあって人間のキャラクターという目新しさは言うに及ばず、当時の他のアニメーション映画とは一線を画するその独特にして簡素なスタイルにより、近眼のマグーシリーズはUPAへの賞賛を集めた。1953年の『When Magoo Flew』と1955年の『Magoo's Puddle Jumper』の2本のマグーシリーズは、アカデミー賞の短編アニメ賞部門を受賞した。 1951年に、UPAはドクター・スースの原作に基づく『ジェラルド・マクボイン・ボイン』で次のヒットを飛ばした。『ジェラルド・マクボイン・ボイン』でUPAは新たなアカデミー賞を獲得し、幾つかのUPAのアニメーション作品は続く数年間においてオスカー賞にノミネートされた。同じく1951年に、UPAは漫画家にしてユーモア作家のジェームズ・サーバー原作の『Men, Women and Dogs』と題された長編アニメーションの企画をアナウンスした (この長編に用いられる予定であったサーバーの短編の一本『庭の一角獣』のみが、最終的に短編アニメーションとして配給された)。『The Tell-Tale Heart』や『Rooty Toot Toot』等の短編は、競合会社のいかなる作品とも異なる際立って洗練されたデザインを特徴としていた。「UPAスタイル」の影響は他の大手アニメーションスタジオに著しい変化を与えた。これらの大手スタジオにはワーナー・ブラザース、MGM、そしてディズニーすらも含まれていた。UPAのスタイルは、実験アニメーションの新時代の到来を告げていた。
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