コロンビアの経済
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 15:15 UTC 版)
コロンビアは、ラテンアメリカでの違法薬物取引において重要な役割を果たしてきた。1930年代から麻薬取引に積極的であったが、麻薬取引におけるコロンビアの役割が真に支配的になったのは1970年代に入ってからである。コロンビアはメキシコがマリファナ農園を根絶しても衰えない需要に応え、北東地域で戦略的に栽培されたマリファナはすぐにコロンビアの主要な換金作物となった。しかしその成功も束の間、米軍が反マリファナ作戦が展開された。コロンビアの麻薬密売人はその代わりとしてコカインの輸出に注力した。1950年代初頭からコロンビアの輸出品であったコカインが人気を維持したのには、さまざまな理由があった。コロンビアの立地条件は、南アメリカから中央アメリカを経て目的地である北アメリカへ輸送することを容易にし、1990年代までコロンビアはコカインの主要な輸出国であり続けた。20世紀後半のコロンビアでは、麻薬取引のビジネスがいくつかの段階を経て行われた。コロンビアは、1980年代までにコカインの流通と販売において支配的な勢力としての役割を果たした。麻薬生産者がより力を持つようになると、彼らはより集中的に組織化された麻薬カルテルへと変貌した。カルテルは、自分たちの製品の流通における各段階の主要な側面をコントロールしていた。カルテルの組織化により、コカインはアメリカ全土に大量に流通するようになった。 1980年代後半になると、カルテルの中で業界内の争いが起こった。この段階では、異なるカルテルが輸出市場の支配権をめぐって争い、暴力が増加した。こうした争いにもかかわらず、権力闘争を経て、コカ農場の複数の生産者を持つことにつながり、品質管理が改善され、コカインの流通における警察の取り締まりが減少した。これはまた、カルテルが彼らの収入を本国に還流しようとすることにつながり、最終的にコロンビアのGDPの5.5%を占めるまでにいたる。この動きは、自らが蓄えた富を正当化しなければならないというプレッシャーにつながり、コロンビア全土で暴力の増加を引き起こした。 1980年代を通じて、コロンビアにおける違法薬物の価値は、20億ドルから40億ドルと推定されていた。これは、この10年間のコロンビアの推定GNP360億ドルのうち、約7〜10%を占める。1990年代、違法薬物の推定価値は、ほぼ同じ範囲(約25億ドル)にとどまった。コロンビアのGNPが1990年代を通じて上昇するにつれて(1994年に685億ドル、1997年に963億ドル)、違法薬物の価値が国民経済に占める割合は減少し始めた。1990年代初頭まで、コロンビアはコカイン輸出ではトップに立っていたが、国内での対立が、主にカルテルと政府機関の間で増加していた。その結果、コロンビアのGDPに占める麻薬取引の割合は、5.5%から2.6%へと低下したのである。コカインの流通は、富をもたらすものの、コロンビアの社会政治的状況に悪影響を及ぼしその経済も弱体化させている。
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