コミックマーケット開催まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 10:13 UTC 版)
「コミックマーケット」の記事における「コミックマーケット開催まで」の解説
詳細は「ぐら・こん」および「迷宮 (同人サークル)」を参照 コミックマーケットのように自主制作本を頒布するイベントの起源は、1939年にアメリカのニューヨークで行われたワールドコンだと言われている。また1960年代に入ると、漫画・SFや映画などに積極的に興味を示す人々が出現、同時に表現の場としての同人誌が多数制作されるようになった。 1966年12月、手塚治虫は『月刊漫画ガロ』に対抗して漫画雑誌『COM』(虫プロ商事)を創刊した。その後、同誌1967年3月号で、読者や漫画家予備軍としての同人作家を全国的に組織化する野心的な構想を発表し、これを「ぐら・こん」と称した。すなわち、同人作家のプロデビューの道筋を示したものである。この構想は『COM』の路線転換や休刊(1971年12月号)もあり失敗に終わったが、漫画同人誌に与えた影響は大きかった。 そこで、時代の潮流として大型の同人誌即売会の開催が求められた。そんな中で出現したのがコミックマーケットである。 まんが批評集団「迷宮'75」がコミックマーケットを立ち上げるまでに至った主なきっかけは、SF大会を模して開催された「日本漫画大会」や流行の端境期に直面していた旧来の漫画と漫画評論への反発、そして「ぐら・こん」の挫折を繰り返さず、まんがマニアのための新たなフィールドを作り出すということにあった。グループの全活動を一貫していものは、単なるまんがマニアに一体何ができるのかという意識である。また「日本漫画大会」を批判したある前回参加者が参加を拒否された事件があったことから「迷宮'75」はこれを告発するとともにコミックマーケットでは批判者を排斥しない理念が形作られることになった。そして「日本漫画大会」や「マンガフェスティバル」などではイベントの一つに過ぎなかった同人誌即売会を独立させ、「ファンのファンによるファンのためのイベント」を目標にした。従って「ぐら・こん」のようにプロ漫画家予備軍ではなく、また「日本漫画大会」のように漫画イベントの一つでもなく、ただ同人誌を描き頒布するならば誰でも参加できる「マーケット(=市場)」となった。 コミックマーケットを企画・主催したのは「迷宮」だが、名目上の主催は当初から「コミックマーケット準備委員会(のちの準備会)」である。実態として両者は表裏一体だが、将来の分離も視野に入れていた。準備委員会の初代代表は「迷宮」同人で人脈の一番広い、原田央男に落ち着いた。
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