コミックマーケットの開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 03:30 UTC 版)
「迷宮 (同人サークル)」の記事における「コミックマーケットの開始」の解説
『漫画新批評大系』創刊準備号の漫画大会での成功や、これまでに培った人脈をテコに、迷宮は新たなイベントの実現に動いた。これがコミックマーケットである。同人誌即売を一つのイベントとして開催するのは、初めての試みだった。コミックマーケットの主催は参加するサークルが構成する「コミックマーケット準備委員会」ということになってはいたが、実質は迷宮そのものだった。 全国の漫画研究会に参加を求めるダイレクトメールを送り、友人知人にも呼びかけ、ようやく32サークルの参加を確保。1975年12月21日、原田央男を代表として第1回のコミックマーケットが開催された。原田はささやかに始まったコミックマーケットの継続に意を砕き、1979年のC12までの代表を務めコミックマーケットの基礎固めを行った。原田が代表であった期間は規模が小さいこともあり、マーケットという形はとりながらも一面では高揚するコミューンの気分も溢れていた。原田はコミックマーケットはあくまでサークルの自由な総意として開催されるという原則を崩さなかった。サークルを「企画参加者」、一般入場者を「一般参加者」と呼び、それにサークルの総意を代表する主催者及びボランティアスタッフを加えて、コミックマーケット全体が立場を超えた平等な「参加者」で構成されるとした、コミックマーケットのデフォルト意識である全てが参加者だとする「総参加者主義」は原田時代に作られた。事前集会を行い、会場の準備や撤収は参加者が自然にボランティア参加し、閉会時にはサークルとともに反省会を開き、毎回レポートを発行、経費も公開した。自主性を重んじた「自分たちの場所」として参加サークルの一体感の維持を計ったが、次第に二次創作とファンクラブの無際限な増加による規模の拡大に違和感を覚え、周囲からの慰留の声を振り切って代表を辞任するに至った。ただし原田時代に固められた、総参加者主義、非営利、ボランティアスタッフ、参加サークルの無選別、事前集会、毎回のレポートといったコミックマーケットの基本フォーマットはそのまま次代に引き継がれていった。
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