コミックマーケット準備会の代表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 10:13 UTC 版)
「コミックマーケット」の記事における「コミックマーケット準備会の代表」の解説
原田央男 - 1975年〜1979年(C1〜C12) 米澤嘉博 - 1980年?〜2006年夏(C14?〜C70) 安田かほる、筆谷芳行、市川孝一 - 2006年冬〜(C71〜) 初期は「迷宮」による運営で実質的には原田央男、亜庭じゅん、米澤嘉博、高宮成河の4人が中心となっていた。名称も「準備委員会」だったり「準備会」だったりと、一定しなかった(C1では「準備委員会」)。「準備委員会」の名称は、「『準備する会』ならともかく『準備会』では、言葉の使い方がおかしい」と思った原田の提案だったが、「委員など決める必要はない」「“委員”という言葉は権威主義的」と批判を受け、定着しなかった。また、佐川俊彦によれば、草案に「準備委員会」となっていたのを、佐川は自分の苦手な、左翼運動的な名称と感じた。そこで「準備会」の名称を提案し、認められたという。米澤は、準備会が現在の(独立した組織としての)原形を持つ(ようになった)のは自身が代表になってからとしている。原田は1979年7月28〜29日開催のC12を最後に、準備会の運営から離れた。 その後、米澤は約26年間の長期にわたって代表を務めたが体調不良の為、C70を最後に退任した。後任には副代表だった安田かほる、筆谷芳行、市川孝一の3人が米澤によって指名され、共同代表となった。米澤夫人の米澤英子は代表補佐でもあったが、夫の退任後も補佐に留任し、その後C82を持って代表補佐を退任している。 C69まで準備会は常設の組織ではなくコミックマーケット開催のたびに結成し、終了後解散する形を取っていた。会社設立以降は継続的な日常の業務については有限会社コミケットが請け負っていたが、個人情報保護法の施行によりC70以降は日常の業務も行うようになったため、解散すること無く継続して存在するようになった。
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