グラヴリンヌ沖海戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 11:02 UTC 版)
「アルマダの海戦」の記事における「グラヴリンヌ沖海戦」の解説
当時のグラヴリンヌ (en) はスペイン領ネーデルラントに属するフランドルの一部であり、フランス国境に近く、イングランドにもっとも近いスペイン領であった。メディナ=シドニア公はここで艦隊の再編を図り、これまで不手際を繰り返してきた彼だが、勇敢にも旗艦サン・マルチーニョ号をもって敵に立ち塞がる。メディナ・シドニア公は、旗艦サン・マルチーニョ号を艦隊最後尾に置いて部下を援護させ、その間にリカルデ提督のサンタ・アナ号を中心に艦隊を再編しようと試みた。 英仏海峡での小競り合いによって、イングランド人は無敵艦隊の戦力と弱点を学び、スペイン船のオーク材の船体を貫通するには近距離に近づく必要があると結論づけていた。一方、スペイン軍の大砲は狭い配置間隔と甲板に収容できる砲弾に限りがあるため容易に再装填ができず、このことをドレークは捕獲したスペイン船ロザリオを調査した際に知った。無敵艦隊は水兵の倍の歩兵を乗船させており、移乗攻撃で勝敗を決しようとするスペインの戦法が彼らの弱点となった。この戦法はレパントの海戦や1582年のポンタ・デルガダの海戦 (en) では有効だったが、イングランド人は敵の戦力を知り、距離を取って白兵戦を避ける戦法をとっていた。 サン・マルチーニョ号には、まずドレークの船隊が攻撃したが、理由は不明ながら短い砲戦を交わしただけで彼は針路を変えて去り、代わってフロービシャーの船隊が無敵艦隊の旗艦に襲いかかった。サン・マルチーニョ号は集中砲火を浴びて大きく損傷するが、やがてほかのスペイン船も救援に駆けつけて無敵艦隊は陣形を再編しつつ戦闘に入る。 イングランド艦隊は優勢な機動性を用いて、無敵艦隊に射程距離外から発砲させて砲弾を消費させ、スペイン船の砲弾が尽きたところでイングランド艦隊は接近して繰り返し発砲して、敵船に損害を与えた。また、これによって彼らは風上を維持することができ、傾いた無敵艦隊の船体は喫水線下を敵の攻撃にさらすことになった。午後4時ごろに無敵艦隊の陣形は崩れ始めてフランドル方面へ敗走したが、午後6時ごろに激しい土砂降りの嵐となり、イングランド艦隊は攻撃を取り止めざるを得なかった。 スペインのガレオン船サン・マテオ号(San Mateo)とサン・フェリペ号(San Felipe)は沈みかけた状態で漂流し、浜に座礁してオランダ人に捕獲された。ガレアス戦隊旗艦のサン・ロレンソ号も座礁して拿捕され、戦隊司令官のモンカーダ提督は戦死した。さらにキャラック船1隻がブランケンベルヘ近郊に座礁している。その他のスペイン船の多くもひどく損害を受けており、特に戦闘のはじめにイングランド船の集団からの激しい攻撃の矢面に立ったサン・マルチーニョ号をはじめとするスペインとポルトガルのアトランティック級ガレオン船の損傷は激しかった。一連の海戦によるスペイン船の損失は史料によって異動があり確定的でないが、9 - 11隻程度が喪失したと考えられる。砲戦でスペイン艦3隻が沈没、2隻が航行不能の大損害を受けたとする説もあり、事実であれば当時の低威力の艦砲によるものとしては大きな成果といえる。 パルマ公の陸軍と合流する計画は挫かれ、イングランド人は休息する余裕を得た。しかし、無敵艦隊の存在は依然としてイングランドにとっての大きな脅威であった。
※この「グラヴリンヌ沖海戦」の解説は、「アルマダの海戦」の解説の一部です。
「グラヴリンヌ沖海戦」を含む「アルマダの海戦」の記事については、「アルマダの海戦」の概要を参照ください。
- グラヴリンヌ沖海戦のページへのリンク