クリスティ・マシューソンとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 10:47 UTC 版)
「タイ・カッブ」の記事における「クリスティ・マシューソンとの関係」の解説
ルーキー時代からクリスティ・マシューソンに強い憧れを持っていた。カッブは「平凡な形容だが、彼はあらゆる点においてまったく素晴らしい男だった」と述べており、アメリカの青少年たちはマシューソンの有名な変化球「フェイドアウェイ」(スクリューボール)を真似ることに夢中になっていたという。マシューソンの死の遠因となった不幸な事件が起きたとき、カッブもその場にいたが、カッブは「当時、彼と一緒にいた者の一人として、まさか彼が死ぬようなことになろうとは思わなかったし、このナショナル・リーグ随一の名投手自身も、そんなことを想像しなかっただろう」と自伝に記している。 1918年に第一次世界大戦にアメリカが参戦したため、陸軍大尉であったカッブも他の選手とともに召集され、化学作戦部隊に属して、毒ガスの使用法と防御法の訓練を受け、ヨーロッパの戦場へと駆り立てられた。一行の中にはジョージ・シスラー、マシューソンなどの有名選手がおり、いずれも教官として毒ガス・火炎放射器部隊へと配属させられた。その部隊には陸軍切っての劣等兵が集められており、しかし有名なスポーツ選手の言うことなら聞くかもしれないという理由によるものだった。劣等兵とみなされた兵士たちも渋々ながらも命令に従っていくようになる。 当時の訓練の一つに「兵士たちを気密室に送り込んで、警戒なしに毒ガスを放出する」という危険なものがあり、全ての兵士は手の合図を見ただけでガスマスクをかぶらなければならなかった。しかしある日、カッブたちは肝心の信号を見落としてしまい、毒ガスの充満する気密室に閉じ込められた。毒ガスをいくらか吸い込んでようやく事態に気がつき、すぐにマスクをつけ、手探りで壁を見つけて外に転げ出た。この時は肺が侵されていることに気づかなかったが、それから数週間の間、胸から無色の痰が排出され、恐ろしい咳が続いた。痰が止まったとき、カッブは本当に救われた思いがしたという。実際にこの事件で閉じ込められた16人のうち、8人が死亡している。 マシューソンはカッブに「タイラス、あそこで毒ガスを嫌と言うほど吸ってしまったんだ。ひどく気分が悪いんだよ」と言い、血がまじった痰を吐いており、この訓練がマシューソンの死の遠因となった。マシューソンは「人間は読んだり、書いたり、話したり、また動いたりすることさえ出来なくなるとつい余計なことを考えるものだから、僕は頭の中で野球の練習をすることにしたよ。実際にグラウンドにいるのと同じ気持ちで次々と新しい事態を想像して、それに対する処置を研究するのさ。毎日こうして過ごしているから、ゲームについて今まで気がつかなかったことを、たくさん勉強したよ」とカッブに語り、一時的に健康を取り戻すこともあったが、1925年にニューヨーク州サラナク湖畔の療養所にて、45歳で死去した。 カッブは後年、「あの忌まわしい運命の日のことを、私はまざまざと覚えている」、「1925年、この不世出の大投手クリスティ・マシューソンの生命の火はついに燃え尽きた。ちょうど彼独特の、あのフェイドアウェイのボールのように」と自伝で振り返っており、「奇跡的に生き残った同僚のひとりとして、私は彼に対し、心からの敬意を表したい。彼は数々の大記録を残したが、私が思い出すのは、その面での彼ではない。スポーツ界まれに見る偉大な人物、偉大な競技者としての彼に対し、私は衷心からの尊敬をささげるものである」と語っている。
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