キリストのよみ降下は死者への宣教?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 00:13 UTC 版)
「セカンドチャンス (キリスト教)」の記事における「キリストのよみ降下は死者への宣教?」の解説
賛成派は、ペテロの手紙第一3:18-4:6の「キリストも・・・死なれました。・・・キリストは(よみの)捕らわれの霊たちのところに行って、みことばを宣べられたのです。・・・死んだ人にも福音が宣べ伝えられていたのです」について、これは「キリストの『よみ』での福音宣教」と理解する。 ウィリアム・バークレーは注解書にこう記している。「使徒ペテロは、キリストが死人の世界に下っていき、そこで福音を宣教したという驚くべき思想を伝えている。すなわち、死によって裁かれた人でも、なおもう一度福音を受け入れ、神の御霊によって生きる機会があるという意味なのである。・・・これは聖書の中で最も素晴らしい文章の一つである。というのは、もしこの説明が真理に近ければ、それが私たちに福音の第二の機会(セカンドチャンス)という、息をのむような光景を垣間みさせてくれるからである」 ジョエル・B・グリーンも注解書にこう記している。「第一ペテロ4:6の『死んだ者』は、死後に福音を聞く機会を与えられた人々である」 ドナルド・G・ブルーシュは、その著『終末の出来事』にこう書いている。「福音が死者へ伝えられたのであれば(Iペテロ3:19、4:6)、死後の回心の機会がその後も多くの者に与えられると期待できる」 熊澤義宣はこう書いている。「信仰を持たないで亡くなった人、とりわけ自分の親しい人はどうなるのか、という疑問がよく出されます。『愛する家族が救われないとすれば、自分だけが洗礼を受けるのは心苦しい』といった心境から受洗にふみきれない場合もあるでしょう。・・・ペテロの第一の手紙3章19節には、キリストが死んだ人のいる世界に下って行かれたと記してあります。・・・その地下とは、よみの世界です。このよみはゲヘナ(地獄)とは違うものとして描かれています。『獄に捕らわれている霊どものところ』というのは、よみを意味しているのです。キリストが、この死んだ人の所へ下って行かれ、キリストの救いにあずからなかった人の所へ下って行かれたのは、そこで福音を宣べ伝えるためであった、と記されています。このことは、キリストを知らないで死んだ人たちにもキリストの恵みが行き渡るためであると、ペテロの手紙は私たちに解説をしてくれているわけです」 久保有政はこう書いている。「イエスは、よみに降って福音宣教をされた。ペテロの手紙によれば、それはノアの大洪水以前の死者に対してだった。では大洪水後の死者には、いつ福音が伝えられるのだろうか。地上にいたときイエスの福音を聞きながらも信じなかった人々は今『よみ』に行っている。『金持ちとラザロ』の話にもあるように、地上の人生の記憶は、よみに行ってからもある。彼らはよみでイエスの福音を思い起こし、なかには信じる人もいることだろう。彼らは周囲の『よみ』の住人にも、福音を語るだろう。また黙示録によれば、終末の患難時代に、エルサレムに神の二人の預言者が現れる。彼らは『獣』に殺され、3日半の後に復活し、昇天するが、その3日半の死の際にどこへ行くのだろうか。昇天後には天に行くので、彼らは死の際には『よみ』に行くことだろう。こうして彼らによっても、よみの死者に福音が伝えられる」
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