キット時代の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 06:23 UTC 版)
ヒースキット/ゼニスによるコンピュータ事業が成功を収めた時期、家庭用コンピュータは趣味として普及、拡大して多くの顧客はヒースキットを組み立てるよりもコンピュータプログラムの作成に熱中した事により会社に損失をもたらした。他の問題は1980年代以降、(プリント基板、集積回路等による)集積化の進行と(主に海外で生産されたコンピュータとプラグインモジュールという)大量生産の電子製品の流入がヒースキットの基本的なビジネスモデルを侵食した。キットの組み立てはまだ楽しめたかもしれないが、もはや費用を節約はできなくなった。表面実装の部品や(多くは特注品でヒース社のような小規模の顧客には入手できなかった)大規模集積回路への切り替えにより電子機器を工場の量産品の組み立てラインより大幅に安く自宅で組み立てる事は不可能になった。キットの販売量は下がり、ヒース社は教材と新分野のホームオートメーションと照明器具に軸足を移した。1989年、ゼニス社がZDSをBullグループに売却した時、ヒースキットもその商談に含まれていた。 1992年3月30日、45年に及ぶキットの販売を終了すると発表した。それは多くの人にとって、十分重要なことでありニューヨークタイムズ紙も見出しで取り上げた。1960年代からのキット製造会社の最後にして最大の生き残りだった。会社は1989年から複数の所有者を経て1995年にBullからHIGと呼ばれる投資家集団に売られ、1998年に他の投資家集団に売られた。教育関連の事業のみ営んでいたがこの集団はヒース/ゼニスの名称と製品を専用の工具とヒーターの製造会社であるDESA インターナショナルへ売却した。 DESAは2008年12月に倒産した。その後もキットの販売以外の活動は健在で、数年間に渡り、ヒースキット エデュケーショナル システムズとしてミシガン州セントジョセフで教育分野の事業を営んでいた。回路図やマニュアル等を有償で提供するアフターサービスは続いていたが、それらの知的財産は2008年末にData Professionalsが購入し、現在は同サイトで販売されている。 2011年に、キット分野への再参入する姿勢を見せ、当初はホームユースの電子機器を発売するとアナウンスした。アマチュア無線機器については開発中としていたが、2012年5月にヒース社は倒産した。 2013年5月にヒースキットの再建が同社のウェブサイトで発表された。 彼らのホームページの拡大されたFAQではヒースキットが戻った事が明確になっており電子キットの生産と販売を再開予定であるされた。 "ヒースキット インサイダー"への"Eメールの更新"のネット上での探索への呼びかけにもかかわらず、 探索への参加者で誰もEメールの更新を受け取っていない。2015年3月22日 (2015-03-22)現在[update]、ヒースキットのウェブサイトには2013年に彼らが確約した将来のいかなるキットの情報も掲載されていない。
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