キシュテム事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 14:23 UTC 版)
1950年代当時のソ連では、一般には放射能の危険性が認知されていない、もしくは影響が低いと考えられていたため、放射性廃棄物の扱いはぞんざいであり、液体廃棄物(廃液)は付近のテチャ川(オビ川支流)や湖(後にイレンコの熱い湖、カラチャイ湖(英語版)と呼ばれる)に放流された。やがて付近住民に健康被害が生じると、液体高レベル放射性廃棄物は濃縮しタンク貯蔵する方法に改められた。 放射性廃棄物タンクは、絶えず生じる崩壊熱により高温となるため、冷却装置を稼働し安全性を保つ必要があるが、1957年9月29日、肝心の冷却装置が故障、タンク内温度は急上昇し、内部調整機器から生じた火花により、容積300立方メートルのタンクに入っていた硝酸塩結晶と再処理残渣が爆発した。この結果、90Sr (29年)、137Cs (30年)、239Pu (24,110年)などの半減期が長い同位体を含む大量の放射性物質が大気中に放出された(East Urals Radioactive Trace)。核爆発ではなく化学的な爆発であったが、その規模はTNT火薬70t相当で、約1,000m上空まで舞い上がった放射性廃棄物は南西の風に乗り、北東方向に幅約9km、長さ105kmの帯状の地域を汚染、約1万人が避難した。避難した人々は1週間に0.025-0.5シーベルト、合計で平均0.52シーベルト、最高0.72シーベルトを被曝した。特に事故現場に近かった1,054人は骨髄に0.57シーベルトを被曝した。 マヤーク会社と官庁によれば、事故後に全体として400 PBq (4×1017 B)の放射能が2万平方キロメートルの範囲にわたって撒き散らされた。27万人が高い放射能にさらされた。官庁が公表した放射能汚染をもとに比較計算すると、事故により新たに100人がガンになると予想される。 国際原子力事象評価尺度ではレベル6(大事故)に分類される。これは1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故と2011年の福島第一原子力発電所事故のレベル7(深刻な事故)に次いで歴史上3番目に重大な原子力事故にあたる。ミュンヘンのヘルムホルツ・センターによればキシュテム事故はこれまで過小評価されていたという。
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