オフブロードウェイからブロードウェイへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 06:26 UTC 版)
「レント (ミュージカル)」の記事における「オフブロードウェイからブロードウェイへ」の解説
7年間の苦労と試行錯誤の末、ジョナサン・ラーソンは彼の初の本格的ミュージカルである『レント』をオフブロードウェイのプレビュー公演にこぎつけた。1996年1月24日の晩、ラーソンは体調不良で気分がすぐれないのをおしてタクシーで劇場にかけつけ、最後のドレスリハーサルを見届けたあと、劇場でニューヨークタイムス紙の劇評記者の取材に応じる。その約1時間後、日付が変わった翌1月25日未明、夢にまで見た『レント』の開幕を同日夕刻にひかえたその日に、自宅に戻ったラーソンはキッチンで倒れ、35年の短い生涯を終えた。胸部大動脈瘤破裂。直前の2週間に2度も倒れて救急病棟に駆け込んでいたのにもかかわらず、医者はインフルエンザや過労と誤診、この命に関わる重大疾患を完全に見落としていた。 作者の急逝という悲報を受けて、1月25日のプレビュー初日は急遽、キャスト全員が舞台上に横一列に座ったまま台詞や歌を読み上げ歌い上げるという、リーディング(本読み)形式による追悼公演に変更となった。しかし中盤の“La Vie Boheme”にさしかかると、内なる興奮を抑えきれないキャストは一斉に踊りはじめ、そのまま大詰めまで演じきった。最後のカーテンコールで、観客の一人が “Thank you Jonathan Larson”(「ありがとう、ジョナサン・ラーソン」)の一言を口にすると、舞台や客席の誰もがこの言葉を口にして、劇場は万雷の拍手喝采につつまれた。この “Thank you Jonathan Larson” の一句は、今日でも世界各地で上演される『レント』のカーテンコールで舞台上にスライドで投影される伝統になっている。映画版でもエンドクレジットの最後にこの一句が挿入されている。 この『レント』の初演(1996年1月26日プレビュー初日、2月13日本演初日)は、奇しくもプッチーニの『ラ・ボエーム』の初演(1896年2月1日)から100年目にあたっていた。 ジョナサン・ラーソンの亡き後、『レント』の登場人物たちに命を吹き込んだのは、それを演じた俳優たちだった。ニューヨークタイムス紙の絶賛と、オフブロードウェイ公演の大成功を推進力に、3カ月後『レント』は晴れてミッドタウンのブロードウェイに進出したが、ここでプロデューサーと監督は、ワークショップの時からラーソンと共に主要登場人物を創造してきたキャスト全員をそのまま再登用するという、ブロードウェイでは珍しいキャスティングを行った。このラーソンの熱い思いを継承した俳優たちのカリスマが、以後10年を越えるロングランとなったこのミュージカルの原動力の一因にもなった。
※この「オフブロードウェイからブロードウェイへ」の解説は、「レント (ミュージカル)」の解説の一部です。
「オフブロードウェイからブロードウェイへ」を含む「レント (ミュージカル)」の記事については、「レント (ミュージカル)」の概要を参照ください。
- オフブロードウェイからブロードウェイへのページへのリンク