オスマン古典音楽の作曲家
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ガーズィー・ギライ Gazi Giray(16世紀末)クリミア・ハン国のハン。作品にマーフル・ペスレヴ(Mahur pesrev)など。 ソラックザーデ Solakzade(17世紀前半)作品にニーシャーブール・ペスレヴ(Nişâbur pesrev)など。 ハーフズ・ポスト Hafız Post(1630年 - 1694年)メフメト4世の宮廷で最高の楽匠と呼ばれた大音楽家。 ブフーリーザーデ・ムスタファー・ウトリー Buhurizâde Mustafa Itrî(1640年 - 1711/1712年)ハーフィズ・ポストの弟子で、詩人。千以上の作品を作った多作家だが、現在では四十作が伝えられているのみ。メフメト4世の頃の音楽家(正確には五人のオスマン皇帝に仕えていた)。 アフメト・チェレビー Ahmed Çelebi(17世紀後半)作品にセギャーフ・セマーイー(Segah semai)など。 デルヴィーシュ・ムスタファ Derviş Mustafa(17世紀後半)作品にニハーヴェンド・ペスレヴ(Nihavend pesrev)など。 カンテミルオール Kantemiroğlu(1673年 - 1723年)モルダヴィア公ディミトリエ・カンテミールのトルコ名。公子としてイスタンブール滞在中に数々の曲を作曲。独自の楽譜を考案、自作曲を書き残した。 シェリフ・チェレビー Şerif Çelebi(18世紀前半)作品にラースト・ペスレヴ(Rast pesrev)など。 セリム3世 Sultan III. Selim(1761年 - 1808年)オスマン帝国の第29代スルタン。古典音楽を数多く作曲し「セリム3世楽派」の祖とみなされた。 ハマーミーザーデ・イスマイル・デデ・エフェンディ Hamamizade İsmail Dede Efendi(1777/1778年 - 1845/1846年)古典音楽最高の作曲家で、「デデ・エフェンディ Dede Efendi」として知られる。マフムト2世の宮廷に仕えた。Sultani yegah, Neveser,Saba buselik,Hicaz buselik,Araban kürdiなどのマカームを開発した。 ハンパルスム・リモンジュヤン Hamparsum Limonicuyan(1768年 - 1839年)アルメニア人。作曲家として知られている以外に、有名な歌手でもあった。イスタンブール生まれ。アルメニア教会で音楽教育を受け、セリム3世の宮廷で活躍した。セリム3世の求めに応じて1813年から1815年の間の2年間でハンパルスム譜という文字譜を考案した。 デッラールザーデ・イスマイル・エフェンディ Dellâlzade Ismail Efendi(1797年 - 1869年)イスマイル・デデの最も著名な弟子で、師につぐ大作曲家。美声で知られ、宮廷声楽家になった。 タンブーリー・オスマン・ベイ Tanburî Büyük Osman Bey(1816年 - 1885年)音楽家の家庭に生まれ、8歳から宮廷に仕えた作曲家。 ルファット・ベイ Rıfat Bey(1820年 - 1888年)宮廷でムアッジン頭や音楽師範を務めた作曲家。 ゼキャーイー・デデ・エフェンディ Zekâî Dede(1824年 - 1897年)オスマン古典音楽最後の大作曲家。イスマイル・デデとデッラールザーデに学び、ムハンマド・アリー朝とイスタンブールの宮廷で活躍した。 ハジュ・アーリフ・ベイ Hacı Ârif Bey(1831年 - 1884年/1885年)声楽曲の作曲家としてもっとも有名な音楽家。美声をもって知られ、長く宮廷に仕えた。イスタンブール生まれ。 シェヴキ・ベイ Şevki Bey(1860年 - 1891年)美声で知られ、ハジュ・アーリフ・ベイに学び声楽曲を多く残した。 ハーリド・レミ・アトル Hâlid Lemi Atlı(1869年 - 1945年)トルコ共和国期まで生き抜き、数多くの声楽曲を残した作曲家。 タンブーリー・ジェミル・ベイ Tanburî Cemil Bey(1871年 - 1925年(1916年とも))タンブール演奏者という意味のあだ名をもち、トルコ音楽史上最大の名手と呼ばれる音楽家。
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