エレクトロニックの時代
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「全英シングルチャート」の記事における「エレクトロニックの時代」の解説
1983年1月に、BMRBは契約をギャラップに取られてしまった。ギャラップは古い方法で編集されていたセールスデータを電子データに置き換えていた。それは郵送サービスをより安定したものにするためだった。(1971年に2ヵ月に及ぶ郵便ストライキが行われたからだ)ギャラップは1983年からチャートを作っていたにもかかわらず、最初のチャートがレコード店に登場したのは1984年になってからである。その結果、1987年10月には土曜日の販売が終わってからチャートは制作され、日曜日の午後には発表されるようになった。以前であれば火曜日(バンクホリデーだった場合は水曜日)まで遅れていた。この頃から、日曜日のBBCラジオ1が放送するチャート番組が新しいチャートを最初に放送するようになった。 チャートはまだトップ75までだったが、1983年1月からギャラップは「Next 25」というセクションを設けた。つまり、76位から100位までである。この枠は業界紙ミュージック・ウィークとレコード・リテイラーに印刷されるようになった。このセクションはセールスを正確には反映したものではなかった。一定量以上の売り上げが減ったディスクは除外され、他のディスクが実際には行かない順位まで上がることもあった。もし以前のヒットが売り上げを少し増やした場合(在庫処分による値引きによって売れたかも知れないのだが)、戻ってくる場所があった場合のみ再登場してきた。 1990年までにチャート作成費用は60万ポンドまで高騰した。ギャラップは900から1500程度の店をサンプリングしていた。イギリスレコード産業の業界団体、英国レコード産業協会(British Phonographic Industry,BPI)はギャラップとの契約終了を告知した。ミュージック・ウィークとBBCでは1990年6月30日まで契約した。1990年7月1日からはミュージック・ウィークを作成する出版社が新たに独立した会社、チャート・インフォメーション・ネットワーク(Chart Information Network Ltd., CIN)を設立した。チャート作成を委託する目的があった。CINはギャラップ、BBC、ブリティッシュ・アソシエーション・オブ・レコード・ディーラーズ(British Association of Record Dealers,BARD)と協力した。当初BPIはCINのチャート裁定委員会(CSC)に関わること、チャートを認定することを拒んだ。 1990年12月、特別なルールで決められていた「NEXT 25」セクションはオフィシャルな業界紙、ミュージック・ウィークでの掲載を終了した。1990年12月24日から1991年4月6日までレコード・ミラー紙にのみ「NEXT 25」が掲載されていた。 1991年1月、CINはBPIとのジョイントベンチャーとなった。2者でチャート作成費用を折半した。費用は100万ポンドまで跳ね上がっていた。得られた収入もまた折半した。CSCはミュージック・ウィーク、CIN、ギャラップ、BBC、BARD、BPIの各社で構成されるようになった。すぐさまCINは新たな市場開拓とスポンサーシップの取引拡大に努めた。この中にはプレミアムレートでのファックス、電話サービスと、チャートのニュースレター、Charts+Plus(1991年5月から1994年12月まで)とHit Music(1992年9月から2001年5月まで)が含まれる。 1991年5月から新たに発行されるようになったニュースレター、「Chart+Plus」はシングルチャートを76位から200位まで拡大した。(アルバムの順位も76位から150位まで掲載し、様々なジャンルやフォーマットのチャートも掲載した)1992年9月、2つ目のニュースレターが作成された。「Hit Music」はシングルのトップ75に、復活した「Next 25」が掲載されるようになった。 ギャラップの契約は1994年1月までで終了する予定になった。1993年4月、BARDはCINとの契約を更新した。BARDのメンバー会社はセールスデータを独占的にCINへ供給することになった。1993年5月、CINはミルワード・ブラウンという世界的な広告、メディア、コミュニケーションコングロマリットのWPPの子会社がチャートの契約を勝ち取ったと発表した。主な議論点はコストの上昇、技術進化、データのよりよいアクセスである。CINはデータの分析をコントロールし、ミルワード・ブラウンの調査の著作権も保持することになった。 1994年2月1日、ミルワード・ブラウンはCINチャートに協力会社として参加した。当初サンプルは1250だったが、1994年4月までに1600へ増加した。ミルワード・ブラウンのデータを元に作成したチャートは1994年2月6日に初登場した。(チャートの日付は1994年2月12日となった) 1994年12月、Chart+Plusは出版を終え、Hit Musicがチャートの収録範囲を広げた。トップ200のシングル(以前のように特別な操作をしていないチャート)、トップ150のアーティスト・アルバム、トップ50のコンピレーションである。1996年12月にはアーティスト・アルバム・チャートがトップ200まで拡大した。 2001年にCINは、オフィシャル・チャート・カンパニー (OCC)へ改名した。 2001年5月、通巻439号をもってHit Musicは休刊した。2001年9月に、チャートファンのHerman VerkadeはCINのライセンス許可を得て、新しいチャート誌を発行した。新しいチャート誌、ChartsPlusはトップ75のシングル・チャートと独自に集計した76位から200位までの順位、トップ200のアーティスト・アルバム・チャート、そして様々なフォーマット、ジャンルのチャートをカバーしている。
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