エレイン・クラークとの不倫関係
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「リチャード・サザランド」の記事における「エレイン・クラークとの不倫関係」の解説
南西太平洋軍の司令部がメルボルンにあったころ、サザランドは社交界でエレイン・クラークという女性を知りあう。クラークの夫はオーストラリア陸軍将校で、中東方面に出征して不在だった。1942年7月、司令部がブリスベンに移ったあと、クラークはのちにケニーおよびマーシャルの秘書となる民間人女性2名を連れてブリスベンに移ってきた。サザランドはクラークを司令部が入居するビルの受付係とした。もっとも、クラークはサザランドと知り合ったとはいえ、最初のころは「夜のお供」は若い士官相手に行い、次いで佐官、そしてサザランドと格上げをしてきた。また、受付の仕事にしても事務一切の仕事ができなかったがゆえのものであり、「サザランドがクラークの靴下を脱がせてやっている」という噂も流れた。 やがて南西太平洋方面の戦局が赤道より上に移ると、マッカーサーは司令部も赤道以北に移すことを考えるが、その際にマッカーサーとサザランドはオーストラリアのジョン・カーティン首相と会談し、オーストラリアの女性や軍属は赤道以北には行かせないという取り決めがなされた。同時に、司令部の軍属をアメリカ陸軍婦人部隊の者と入れ替えるよう要請した。サザランドはケニーとマーシャルの秘書の地位保全も要請する一方、陸軍婦人部隊からの参加者がアメリカ国籍の者限定だったことの抜け穴を悪用した形で、どざくさまぎれにクラークの身分の保証をも要請していた。人事担当の陸軍次長ミラー・G・ホワイト少将や婦人部隊司令官オヴィータ・カルプ・ホビー大佐は派遣に賛同していたが、陸軍次長ジョゼフ・マクーナニー(英語版)少将は反対した。しかし、人員の増加が作戦の遂行に不可欠であるという認識と、アイゼンハワーの専属運転手にケイ・サマースビー(英語版)が就いていたことが決め手となって婦人部隊の派遣が決まった。ケニーおよびマーシャルの女性秘書も第一副官として改めて配属されたが、クラークはなぜか大尉に任官した。 マッカーサーがクラークの存在に気付いたのはホーランジアの戦いを控えたころで、ある朝にジュースを配っているクラークを見て、周囲に「あの者は誰だ?」と聞いたところ、答えが返ってきた。「オーストラリア人でさしづめホステスといったところでしょう」。マッカーサーは事の真相を知るとサザランドにクラークを帰国させるよう命令したがサザランドの反応は不明で、マッカーサーはてっきり帰国していたものと思っていた。しかし実際にはクラークは帰国せずレイテ島の戦いの際にレイテ島にやってきており、さらにサザランドがタクロバンの海岸にクラーク専用の宿舎建設を命じていることをマッカーサーは知って仰天する。マッカーサーはサザランドを呼び出し、激昂しながらクラークを48時間以内に退去させるよう命じた。2日後、クラークは荷物をまとめてブリスベンに帰って行った。珍妙なことに、サザランドはその直後に「歯痛を訴え」、ホーランジアにいる歯医者のもとに行った。そして、歯の治療でホーランジアに行ったはずであったが、「なぜか」ブリスベンまで移動した。一連のクラークの一件以降、サザランドとマッカーサーの間には亀裂が生じることとなった。
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