エレウサのイコンからの影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 04:55 UTC 版)
「教会の聖母子」の記事における「エレウサのイコンからの影響」の解説
アントワープ王立美術館が所蔵する『泉の聖母』と『教会の聖母子』は、ヤン・ファン・エイクがその最晩年に描いた聖母子像とされている。描かれているマリアはどちらの作品でも立ち姿で青色のドレスを身にまとっている。これらはヤン・ファン・エイクがキャリア初期に、坐して赤いドレスを着用したマリアを多く描いていたこととは好対照といえる。マリアを立ち姿で描いた絵画作品はビザンチン絵画のイコンによくみられる構図で、『教会の聖母子』と『泉の聖母』はともに「エレウサのイコンと呼ばれる作品群の影響を受けている。エウレサのイコンは英語で「慈しみの聖母」ともいわれ、マリアと幼児キリストが頬を寄せ、キリストがマリアの顔をなでているという構図の作品である。 14世紀から15世紀にかけて、このようなビザンチン絵画作品が大量にアルプス以北の北方ヨーロッパに持ち込まれ、初期フランドル派の最初期の画家たちによって盛んに模写された。作者未詳の『カンブレーの聖母』に代表されるような後期ビザンチン絵画と、こうしたビザンチン美術の影響を強く受けていたジョットのような画家たちの作品では、マリアが非常に大きな身体の女性として描かれることが多かった。ヤン・ファン・エイクも間違いなくこの作風を取り入れているが、具体的にいつごろ描かれたどの作品から影響を受けたのかということについては議論となっている。ただし、ヤン・ファン・エイクがこの作風の絵画作品を直接目にしたのは、1426年か1428年のイタリア訪問時だと考えられている。これは『カンブレーの聖母』が北ヨーロッパに持ち込まれる前のことだった。『教会の聖母子』と『泉の聖母』は幾度も模写され、15世紀を通じてさまざまな工房が製作した複製画が市場に流通している。ビザンチンで巨大なマリア像が好んで描かれたのは、ギリシャ正教会との不和に終止符を打とうとする、当時の世論や和解交渉と関係があるといわれている。ヤン・ファン・エイクのパトロンで、宮廷画家として寓したブルゴーニュ公フィリップ3世も、このような動向に強い関心を示していた。ヤン・ファン・エイクが1431年ごろに描いた肖像画『枢機卿ニッコロ・アルベルガティ』に描かれているニッコロ・アルベルガティは、ビザンチンとギリシャ正教会の関係修復に尽力したローマ教皇庁の外交官の一人だった。
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