エミシ・エビス・エゾ・アイヌと縄文人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 09:30 UTC 版)
「縄文人」の記事における「エミシ・エビス・エゾ・アイヌと縄文人」の解説
前述のように明治から第二次世界大戦が終わる頃までは、縄文人は日本民族によって日本列島から駆逐されていった先住民と見られていた。こうした見方は必然的に、古代から近世にかけて日本の支配する領域の北隣に居住していた異民族、そしてアイヌを縄文人の直接の末裔と見る説を生み出した。このような縄文人、蝦夷、アイヌを等号で結ぶ見方は、その後の研究の発展によってほぼ否定され、今日の学界では受け入れられていないが、完全な末裔ではないものの、国立科学博物館が行ったゲノム解析解析によりアイヌ人は縄文人の遺伝子を特に色濃く残していることも判明している。 近年では、12世紀におけるアイヌ文化の成立をアイヌ民族の成立と見る立場を政治的に不当なものとして糾弾し、古代の北東北からアイヌモシリにかけて広がっていた擦文文化や続縄文文化の担い手たちをも「アイヌ」と呼ぶべきであると主張する論者も、少数ながら存在する。例えば平山は山田秀三らが東北地方にアイヌ語地名が多数存在していることを明らかにした研究に言及しつつ、古代の蝦夷(エミシ)と近世のアイヌが同系統の言語を母語としていたことは事実であり、であるならば古代蝦夷と近世アイヌは同じ民族とするべきであると主張している。小野は12世紀にアイヌモシリでアイヌ文化を生み出した集団は、11世紀以前にアイヌモシリに居住していた擦文文化人やオホーツク文化人(ニヴフ系)の直接の子孫であるから、これらは同じ民族と見るべきであると主張している。 ただ、こうした主張に対しては、エスニック・グループを本質主義的に捉えており、それを構成する人々の形質的特徴や社会的・文化的特徴が長期に渡って不変であるとの前提に立っていて、現在の人類学・考古学・歴史学・社会学の研究レベルでは通用し難いとの批判がある。 2004年の頭蓋特性の再評価は、アイヌの人々が縄文人よりもオホーツクの人々に似ていることを示唆している。また、アイヌは縄文人ではなくシベリア人の子孫でアイヌ語はオホーツクの人々と関連付けることができるという説もある。 しかし一般的にはアイヌは縄文人のDNAを最も多く受け継いでおり(70%程度)シベリア人の子孫というのは無理がある
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