エディンバラとロージアン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 01:18 UTC 版)
「カレドニアン鉄道」の記事における「エディンバラとロージアン」の解説
カレドニアン鉄道はカーステアズからエディンバラへ、1848年2月15日に到達した。ターミナルはプラットホームが1本のロージアン・ロード駅であった。これが、エディンバラとロンドンの間で客車を乗り換えることなく直通で移動できる最初の路線であった。競合のノース・ブリティッシュ鉄道を利用する旅客は、ツイード川を徒歩で渡らなければならなかった。 エディンバラのターミナルは不満足であり、改良が必要であったが資金は限られており、ヘイマーケット駅(英語版)への短い支線を建設した。エディンバラ・アンド・グラスゴー鉄道およびノース・ブリティッシュ鉄道の、後にエディンバラ・ウェイヴァリー駅となる駅を利用する交渉が行われたが、ノース・ブリティッシュ鉄道はこれを拒絶した。結果的に1870年にロージアン・ロード駅は大規模に改良されて延長され、新しいターミナル駅はエディンバラ・プリンシーズ・ストリート駅(英語版)となった。 グラントン港(英語版)の所有者がロージアン・ロード駅付近から分岐する支線を建設することを推進し、資金を半分負担した。この路線は1862年に開通した。グラントンへの路線からリース(英語版)のドックへの支線は1864年に開通した。この路線では1879年に旅客営業を開始し、リース側のターミナルは後にリース・ノース駅へと改称した。1900年以降、港湾当局はかつてのリースのドックの東側に新しい現代的なドックを建設し、カレドニアン鉄道もリースへの路線をさらに延長して新しい港湾設備に到達した。リース新線は1903年に開通した。この路線で旅客営業を開始する計画があり、旅客駅も建設されたが、路面電車との競争により近郊旅客輸送鉄道が存続不可能であるとされたため、実際に旅客輸送が開始されることはなかった。 エディンバラへの本線は多くの鉱物産地の近くを通過しており、炭鉱、製鉄所、シェールオイルの工場などへ多くの短い支線や連絡が建設された。オーチングレイ(英語版)から分岐するウィルソンタウン(英語版)への1860年に開通した支線がもっとも重要で、旅客列車の運行が行われた。 当初のウィショー・アンド・コルトネス鉄道(英語版)は、カレドニアン鉄道が借り受けていたが、長らく西側からクリーランド(英語版)製鉄所に到達しており、1869年にその近くからエディンバラ本線のミッドカルダー(英語版)・ジャンクションまで延伸され、途中ショッツ(英語版)、フォールドハウス(英語版)、ミッドカルダーを通過した。この路線はさらに多くの鉱山や工業地帯に連絡し、カレドニアン鉄道にとってはグラスゴーとエディンバラを結ぶ旅客ルートとなって、ノース・ブリティッシュ鉄道のグラスゴー-ファルカーク-エディンバラ線(英語版)と競合した。 最初の本線はエディンバラ南西のリース川(英語版)沿いのかなりの産業中心地を迂回して通過しており、バレルノ(英語版)への支線が1874年8月1日に開通した。この路線は特にコリントン(英語版)の住宅開発を促進することに成功し、また娯楽目的でも利用された。この路線は当時は「ピクニック線」として知られていたが、より便利な道路の交通に屈して、1943年に旅客営業が廃止された。 投機的な住宅開発により、エディンバラの西のバーントン(英語版)への路線建設が促されることになった。この支線は1894年3月1日に開通した。ターミナルは当初はクラモンド・ブリッジと名付けられた。カレドニアン鉄道はこの路線を環状線にする意図があり、コースターフィン(英語版)を通って都心に帰ってくることになっていたが、この計画は見送られた。
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