エセックス・ギャング団の解体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/31 03:01 UTC 版)
「ディック・ターピン」の記事における「エセックス・ギャング団の解体」の解説
ウィーラーの供述が出回ると、ギャング団のほかの団員は縄張りから逃亡した。ターピンはグレゴリーほか仲間たちにウィーラー逮捕を知らせ、ウェストミンスターに逃れた。1735年2月15日、ウィーラーが当局への供述を進めている間、「3、4人の男」(サミュエル・グレゴリー、ハーバート・ヘインズ、ターピンとされ、トマス・ローデンの参加も考えられる)がチンフォード(英語版)でセント・ジョン夫人の家を略奪した。その翌日、ターピン(とローデン)はグレゴリー、ヘインズと仲間割れし、家族に会うためヘンプステッド(英語版)へ向かった。2月17日にグレゴリーとヘインズがエセックス・デブデン(英語版)の酒場に立ち寄り、1泊しようとして羊の肩肉を注文したことから、2人はターピンを探しに行ったのではないかとされている。しかし、パルマーという人物が2人を見つけ、教会区の治安官に報告した。騒ぎの末、2人は逃げおおせた。彼らはターピンと再び徒党を組み、ウッドフォードに戻る前に、ジョーンズとローデンと共にグレイヴゼンド(英語版)へ向かった。2月下旬にウッドフォードで新たな強盗があったことが報告されており、これはグレゴリーとその仲間による仕業である可能性があるが、逃亡に使うほとんどの道路は遮断され、当局が目を光らせる中、エセックス・ギャング団の残りのメンバーはエッピング・フォレスト(英語版)で鳴りを潜めていた。 フィールダー、サンダース、ウィーラーの逮捕から6日後、ターピンと仲間たちがグレイヴゼンドから戻ってくる最中に、ローズ、ブレイジアー、ウォーカーがウェストミンスターの雑貨屋でパンチを飲んでいるところを逮捕された。フィールダー、ローズ、サンダース、ウォーカーの裁判は、ミドルセックスの四季裁判所(Middlesex Quarter Sessions)で1735年2月26日から3月1日まで行われた。そこでターピンとグレゴリーも住居侵入罪で告発された。ウォーカーはニューゲート刑務所に収監中に死亡したほか、ほかの3人は3月10日にタイバーンで絞首刑にされ、死体が腐敗するまでエッジウェア・ロード(英語版)で晒された。ウォーカーの死体は鎖に巻かれて吊るされた。絞首刑の2日前、イースト・シーン(英語版)の酒場から届いた「4人の容疑者」についての報告が新聞記事に掲載され、その中でグレゴリーとその仲間とおぼしき人物が廟刺されている。しかし、残りのエセックス・ギャング団員については、3月30日にそのうちの3人がサフォーク伯の使用人の馬を盗もうとして失敗するまで報道されなかった。ターピンは4人の仲間と別の強盗事件に関与し、この件は3月8日に報道された。その間にジャスパー・グレゴリーが逮捕され、3月下旬に処刑された。彼の兄弟はウェスト・サセックスのレイク(英語版)(英: Rake)で4月9日に乱闘の末逮捕されたが、その騒動の中でサミュエルは剣で鼻の先を削がれ、ジェレミーは足を撃たれている。ジャスパーはウィンチェスター監獄(英語版)で死亡し、サミュエルは5月に裁判にかけられ、6月4日に処刑された。彼の死体はその後、ほかの仲間と共にエッジウェアで鎖に巻かれて吊るされた。メアリー・ブレイジアーはアメリカの13州植民地に流刑となった。ハーバート・ヘインズは4月13日に逮捕され、8月に処刑された。かつての仲間の所業を白状していたジョン・ウィーラーは釈放されたが、1738年1月にハックニー(英語版)で死亡した。死因は記録されていないが、自然死とみなされている。
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