エクソン・バルディーズ号の原油流出事故
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「アラスカの歴史」の記事における「エクソン・バルディーズ号の原油流出事故」の解説
詳細は「エクソンバルディーズ号原油流出事故」を参照 1989年3月24日、プリンス・ウィリアム湾を航行していたタンカーエクソン・バルディーズ号が1100万ガロンに上る原油を漏らし、1800キロに亘って海岸線が汚染された。アメリカ魚類野生動物局によれば、少なくとも30万羽の海鳥、2000頭のラッコが原油流出によって死んだ。エクソンは清掃作業に最初の年だけで20億ドルを使い、1989年の夏までにプリンスウィリアム湾の海岸線で12000人が作業に当たった。ブルドーザーで黒くなった海岸を掘り、小さな油の玉を吸引機で吸い取り、熱湯で砂を洗い、石を手作業で磨き、海藻をかき集め、油を分解する微生物の繁殖を促す科学肥料を撒いた。 原油流出事故は国際世論を喚起し、清掃のボランティア達でバルディーズのホテルとキャンプ場はいっぱいになった。おかげでバルディーズは景気が良かったが、他の地域では観光産業が打撃を受けた。エクソンは州と国の機関と連携しながら清掃作業を90年代前半まで続けた。スミス島など一部の地域では人間の作業よりも冬の嵐の方が海岸をきれいにしてしまった。政府の研究によれば、原油だけではなく鳥や動物の生態への理解を欠いた清掃作業自体も湾の環境に重い後遺症を与えた。プリンスウィリアム湾は回復したように思われるが、科学者の間ではまだ見解が分かれている。 住民に対して、エクソンは十年間で九億ドルを払い、新たに発見された被害について一億ドルを払った。石油、化学、ウラン鉱の労働組合は、全国で約四万人の労働者を動員して議会が国の包括的なエネルギー政策を法文化するまでは北極野生生物保護区 (ANWR) での石油掘削に反対すると宣言した。事故の後、アラスカ州知事のスティーブ・カウパーは、原油を積載した全てのタンカーはバルディーズからプリンスウィリアム湾を出るまで二隻のタグボートに付き添わせることを求める行政命令を出した。この計画は1990年代半ばにはさらに強化され、二隻のうち一隻は全長64mの護送対応船 (ERV) にすることになった。バルディーズのタンカーの大部分はまだ単船殻 (Single-Hull) だが、議会は2015年までには全てのタンカーを複船殻 (Double-Hull) にするべきという法案を可決した。
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