インディアン絶滅キャンペーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 07:01 UTC 版)
「サンドクリークの虐殺」の記事における「インディアン絶滅キャンペーン」の解説
1863年、「事件」の前年、デンバーの地元新聞『ロッキー山脈ニュース』は、州を挙げたインディアン絶滅キャンペーンを始めた。この年3月、『ロッキー山脈ニュース』の編集者は社説でこう書いた。 やつら(インディアン)は、この地上から消し去るべき、自堕落で、宿無し同然で、残忍で恩知らずな人種である。 コロラド議会では、27人のうち10人が、インディアン根絶の強行を主張していた。翌1864年はコロラド州選挙が行われる年だった。金鉱を狙ってコロラドに押し寄せる白人入植者は、「インディアン絶滅」を掲げる政治家たちを圧倒的に支持しており、ジョン・エバンズ知事を含む『ロッキー山脈ニュース』に関連する政治派閥は、「インディアン絶滅」の政策が明らかに支持率を上昇させるカギだと認めていた。 翌年の総選挙まで、『ロッキー山脈ニュース』は「インディアンの脅威」を書きたて続けた。「インディアンが陰謀を企んでいる」というでたらめな噂は、「事実である」との評判だった。白人とインディアンの間のどんな些細な諍いでも、「インディアンによる大虐殺」として報告された。 2人の白人兵士が死んだ、インディアンと兵士との諍いの後、コロラドの軍隊は、25人のインディアンを殺すことで報復した。デンバー市民と軍隊は、2人の兵士の弔いに聖歌を歌った。25人のインディアンを大量虐殺した陸軍の指揮官はこう述べている。 私は現在、インディアン撲滅のためには、結果として生じなければならないこの部族との戦争しか他にはないと信じております。 条約を破った白人の不法侵入に対するインディアンの抵抗によって、あちこちで小競り合いが続いた。インディアンの集団が、コロラドの白人自警団員や軍人によってあちこちで殺された。『ロッキー山脈ニュース』は1864年8月にこう宣言した。「入植者と軍は、彼ら、彼らの住居、女達、およびすべてのために、(インディアンを殺しに)行かなければならない」 この夏、白人入植者の家族がインディアンに殺された。エバンス知事は、緊急宣言を出した。民兵連隊が結成され、彼らは見つけ次第、すべての敵対的なインディアンを殺す許可を与えられた。知事は彼らに補償を約束した。「馬、その他資産が何であれ、彼らは政府によって支払いを受けることが出来ると約束する。」 州政府が「直ちに」、「すべての」インディアンの殺害を認可したこの宣言によって、「馬」と「その他の資産」を得るために、入植者たちはインディアンを無差別殺害し、彼らが「敵対的だった」と主張した。さらに『ロッキー山脈ニュース』は、「赤い悪魔の根絶」キャンペーンを強化し、和平派のインディアンも交戦派のインディアンも、区別するのをやめた。エバンス知事はもう一つの発言を行った。 あらゆる証拠において、平原インディアンのほとんどは実際に敵対的だった。したがって、市民が彼ら全員を「追いかけて、殺して、破壊する」ことは、市民として当然の行動である。
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