イスラム錬金術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 03:30 UTC 版)
硫酸を発見した人物として2人の名前が知られている。1人は8世紀のイスラム世界の錬金術師、ジャービル・イブン=ハイヤーン(ラテン名ゲベルGeber)であり、ミョウバンもしくは緑礬(りょくばん、硫酸鉄(II) 7水和物を主体とする鉱石)を乾留して硫酸を得たとされている。もう1人は9世紀のイスラム社会の医者であり錬金術師であったイプン・ザカリア・アル・ラーズィー (ラテン名ラーゼスRhases) である。緑礬あるいは胆礬(硫酸銅(II)5水和物を主体とする鉱石)を乾留して硫酸を発見した。いずれにせよ乾留の過程で、熱分解によって酸化鉄(III)あるいは酸化銅(II)とともに三酸化硫黄が生じる。これが水を吸って凝縮し、希硫酸が得られた。 この方法は、アルベルトゥス・マグヌスなどによるイスラム文献の翻訳により、ヨーロッパへと伝えられた。このような由来により中世の錬金術師の間では、硫酸は礬油(oleum vitrioli)・礬精(spiritus vitrioli)と呼ばれていた。 14世紀には、ベネディクト会の修道士であり、錬金術学者でもあったバレンティヌス (Basilius Valentinus) が硫黄と硝石を併せて燃焼させると、金属を溶かす性質のある液体(硫酸)が得られることを発見した。 1600年ごろ、オランダ人の発明家コルネリウス・ドレベル (Cornelius Jacobszoon Drebbel) は、熱したイオウと硝石から当時としては最も効率よく硫酸を回収する方法を確立した。ドレベルの手法は150年後に登場するローバックの鉛室法につながっていった。 17世紀にはドイツの化学者ヨハン・ルドルフ・グラウバー (Johann Rudolph Glauber) がアムステルダムに硫酸工場を設立している。水蒸気を通じながら、硫黄を硝石と一緒に燃やす手法を採った。硝石の分解生成物が硫黄を酸化して三酸化イオウを作り、三酸化イオウと水の化合物として硫酸を得ていた。硫酸工場の目的は、硝石と反応させて硝酸を製造するためであった。1654年には食塩に硫酸を反応させて塩酸を発見している。このとき生成する硫酸ナトリウムは彼の名からグラウバー塩とも呼ばれる。
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